出来事の詳細 189年 - 191年

董卓専横と反董卓連合

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董卓が朝廷と洛陽兵権を掌握し、袁紹盟主とする関東諸軍が各地で対抗した

この出来事の要点

人物一覧

展開

  1. 01

    北芒での少帝迎入

    董卓は宦官に連れ出された少帝を北芒で迎え、軍勢とともに洛陽へ入った。

  2. 02

    少数兵力を大軍に見せた偽装

    董卓は兵を夜間に城外へ出し、翌朝に再入城させて西方の援軍が続々と到着したように見せた。

  3. 03

    鮑信の董卓急襲案

    鮑信は董卓軍が疲れている到着直後の攻撃を袁紹へ勧めたが、袁紹は決断しなかった。

  4. 04

    首都軍の吸収

    何進・何苗の配下と丁原軍が董卓の統制下へ入り、洛陽の兵権が董卓へ集中した。

  5. 05

    呂布による丁原殺害

    董卓は丁原に信任されていた呂布を誘い、丁原を殺させて軍勢を併合した。呂布を騎都尉とし、父子の誓いを結んだ。

  6. 06

    袁紹の廃立反対

    袁紹は董卓の少帝廃位案に同調せず、席を立って冀州へ逃れた。

  7. 07

    袁紹の勃海太守任命

    周毖・伍瓊・何顒は袁紹への追及が反乱を招くと説き、董卓は袁紹を勃海太守に任じた。

  8. 08

    少帝廃位と献帝擁立

    董卓は劉弁を弘農王へ降格し、劉協を献帝として即位させ、何太后と弘農王を殺した。

  9. 09

    董卓政権の形成

    董卓は相国となり、廃立・武庫・国家財宝を掌握する強権的な政権を形成した。

  10. 10

    陽城住民への虐殺

    董卓軍は陽城の祭祀に集まった住民を襲い、男性を殺し、女性と財物を略奪した。

  11. 11

    曹操の洛陽脱出

    董卓から驍騎校尉に推された曹操は応じず、姓名を変えて洛陽から東へ逃れた。

  12. 12

    中牟拘束と釈放

    曹操は中牟で疑われて拘束されたが、県内で正体を知る者の取りなしにより釈放された。

  13. 13

    曹操の陳留挙兵

    曹操は家財と衛茲の援助をもとに陳留で義兵を集め、董卓討伐を掲げた。

  14. 14

    橋瑁の討董呼びかけ

    橋瑁は京師の三公名義の文書を偽作し、董卓の罪悪と朝廷の危機を州郡へ伝えて義兵を募った。

  15. 15

    関東諸軍の同時挙兵

    州牧・刺史・太守ら十勢力が同時に挙兵し、袁紹を盟主に推した。

  16. 16

    臧洪の盟誓

    臧洪は酸棗の壇上に立ち、劉岱・孔伷・張邈・橋瑁・張超らを代表して董卓討伐の盟誓を読み上げた。

  17. 17

    周毖・伍瓊の処刑

    董卓は、推薦した州郡長官が反董卓軍へ加わったことから周毖・伍瓊の内通を疑い、二人を斬った。

  18. 18

    袁隗ら袁氏一族の処刑

    袁紹が関東で勢力を得ると、董卓は洛陽にいた太傅袁隗ら袁氏一族を皆殺しにした。

  19. 19

    関東諸軍の分散布陣

    袁紹は河内、酸棗諸軍は酸棗、袁術は南陽などに分かれて駐屯し、董卓軍を恐れて進軍を控えた。

  20. 20

    董卓の招諭使節と王匡の殺害

    董卓は胡母班・呉脩に詔書を持たせて袁紹を説得しようとしたが、王匡が二人を殺した。

  21. 21

    河陽津の王匡軍壊滅

    董卓軍は陽動と背後渡河を組み合わせ、河陽津北岸で王匡軍をほぼ壊滅させた。

  22. 22

    長安遷都と洛陽焼亡

    董卓は関東諸軍の挙兵を恐れて献帝と朝廷を長安へ移し、洛陽の宮殿・宗廟・官庫・民家を焼いて財産を没収した。

  23. 23

    五銖銭廃止と小銭鋳造

    董卓は銅製品と五銖銭を壊して粗悪な小銭を鋳造し、貨幣価値の下落と物価高騰を招いた。

  24. 24

    滎陽汴水の曹操敗戦

    曹操軍は徐栄軍と戦って大きな損害を受け、曹操は負傷したが曹洪の馬で脱出した。

  25. 25

    曹操の揚州募兵

    滎陽敗戦後の曹操は夏侯惇らと揚州へ赴き、陳温・周昕から四千余の兵を得た。

  26. 26

    龍亢の兵変

    揚州で募った兵の多くが龍亢で反乱し、曹操は自ら応戦して五百余の兵を残した。

  27. 27

    酸棗諸軍の停滞

    酸棗の諸軍は十余万を擁しながら進まず、曹操の多方面封鎖策も採用されなかった。

  28. 28

    孫堅の北上と王叡殺害

    反董卓軍へ加わる孫堅は北上途中、曹寅が偽作した使者文書を受けて荊州刺史王叡を殺した。

  29. 29

    張咨殺害と軍糧確保

    孫堅は軍需の整備が進まないことを理由に南陽太守張咨を拘束し、軍門で斬った。

  30. 30

    魯陽の孫堅軍

    袁術は孫堅を破虜将軍・豫州刺史とし、孫堅は魯陽で軍を整えて董卓軍を退かせた。

  31. 31

    梁東の包囲脱出

    梁東で董卓軍に包囲された孫堅は、祖茂に赤い頭巾を預けて追撃をそらし、裏道から脱出した。

  32. 32

    胡軫・呂布軍の不和

    陽人へ進んだ胡軫軍は諸将との不和と呂布の虚報で混乱し、装備を捨てて退いた。

  33. 33

    陽人の勝利

    孫堅は兵を再集結し、陽人で董卓軍を破って都督の華雄らを斬った。

  34. 34

    軍糧停止と再調達

    袁術は中傷を信じて軍糧を止めたが、孫堅の抗議を受けて輸送を再開した。

  35. 35

    和親拒否と大谷進軍

    孫堅は李傕が伝えた董卓の和親案を拒み、大谷まで進んで洛陽へ迫った。

  36. 36

    洛陽入城と陵墓修復

    孫堅は洛陽へ入り、董卓が掘り返した陵墓を修復した後、魯陽へ戻った。

  37. 37

    劉表の荊州基盤形成

    劉表は襄陽に拠点を置き、蒯良・蒯越・蔡瑁らを用いて宗賊と地方武装勢力を統合した。

  38. 38

    劉岱による橋瑁殺害

    劉岱は対立していた橋瑁を殺し、王肱に東郡太守を代行させた。

  39. 39

    劉虞擁立案

    袁紹と韓馥は劉虞を皇帝に立てようとしたが、曹操は拒み、劉虞も受けなかった。

  40. 40

    連合諸侯の内紛と解体

    諸軍は率先して進まず、兵糧が尽きると離散し、共同戦線は州郡を争う諸勢力へ分かれた。