189年 - 191年

董卓専横と反董卓連合

展開27

酸棗諸軍の停滞

出来事に戻る

酸棗の諸軍は十余万を擁しながら進まず、曹操の多方面封鎖策も採用されなかった。

関係する人物

袁紹盟主系の関東諸軍

袁術・孫堅軍

曹操義兵

原文

太祖到酸棗諸軍兵十餘萬日置酒高會不圖進取太祖責讓之因爲謀曰「諸君聽吾計使勃海引河內之衆臨孟津酸棗諸將守成臯據敖倉塞轘轅太谷全制其險使袁將軍率南陽之軍軍丹入武關以震三輔皆高壘深壁勿與戰益爲疑兵示天下形勢以順誅逆可立定也今兵以義動持疑而不進失天下之望竊爲諸君耻之」邈等不能用
日本語対訳

曹操酸棗へ到着すると、諸軍には十余万の兵がいたが、毎日酒宴を開くばかりで進軍を企てなかった。曹操は彼らを責め、次の作戦を示した。「諸君が私の策を聞くなら、勃海袁紹河内の軍を率いて孟津へ臨ませ、酸棗の諸将は成皋を守って敖倉を押さえ、轘轅太谷を塞いで要害を完全に支配させる。袁将軍である袁術には南陽軍を率いて丹水・析県へ駐屯し、武関へ入って三輔を震撼させる。いずれも高い陣壁と深い堀を築き、正面戦闘を避け、さらに陽動部隊を配置して天下へ軍勢の形を示す。正義に従って反逆者を討てば、すぐに平定できる。いま正義を掲げて兵を起こしたのに、疑って進まなければ天下の期待を失う。私は諸君のために恥じる」。しかし張邈らはこの策を採用しなかった。