人物から読む正史三国志
人物伝
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195年 - 199年 袁術の皇帝僭称まで326人
霊帝
後漢皇帝。平楽観で講武し西園八校尉を設置した。劉協を蹇碩に託して崩御し、後継をめぐる宮廷政変の契機となった。
劉弁
何皇后の子。霊帝崩御後、蹇碩の劉協擁立計画が失敗して即位した。宮中の戦乱では宦官に連れ出され、小平津から帰還した。
劉協
後漢の献帝。霊帝が蹇碩に託した皇子で、劉弁即位後は陳留王となり、宦官に少帝とともに小平津へ連れ出されたのち帰還した。
皇甫嵩義真
後漢の車騎将軍。黄巾蜂起に際して朱儁とともに討伐軍を率いた。
朱儁公偉
後漢の中郎将。皇甫嵩と黄巾討伐にあたり、孫堅を佐軍司馬として起用した。
盧植子幹
北中郎将として張角を討ち、広宗で包囲したが、讒言によって罷免された。
何進遂高
何皇后の兄。黄巾蜂起時に大将軍となり、少帝即位後は宦官排斥を進めた。外軍を召した後、嘉徳殿前で宦官側の渠穆に斬られた。
何皇后
何進の妹で霊帝の皇后、劉弁の母。劉弁即位後に皇太后として政務を執り、宦官制度の全廃を拒んだ。宮中襲撃時には宦官に連行されたが盧植の追及で解放された。
傅燮南容
護軍司馬として皇甫嵩と張角を討ち、潁川で戦功を重ねた。
蓋勲元固
敦煌の官人。左昌を諫めながら冀城を救い、狐槃では敗れて三創を負った。羌側にも義勇を敬われ、捕虜となっても害されず送還された。
張温伯慎
後漢の司空。車騎将軍として十余万を率い、董卓・周慎・孫堅らを統率した。美陽で反撃した後、榆中と望垣の追討が失敗し帰還した。
王允子師
豫州刺史として黄巾の別将を破り、皇甫嵩・朱儁らと多数の降伏を受け入れた。
丁原
武猛都尉。何進の策により孟津を焼き、その火で洛陽城内を照らして宦官勢力を威圧した。
何苗
車騎将軍。宦官との和解を何進に勧めたが、何進殺害後は袁紹と趙忠らを斬った。呉匡らに宦官との共謀を疑われ、董旻とともに攻め殺された。
韓馥文節
冀州牧として反董卓諸軍と同時に挙兵し、袁紹を盟主に推した。のち袁紹と劉虞擁立を企てたが、劉虞は受けなかった。
荀攸公達
何進が広く招いた智謀の士の一人で、腹心に加えられた。
劉岱
兗州刺史。鮑信の諫めを退けて青州黄巾と戦い、戦死した。
陳珪
徐州の名士として呂布と袁術の婚姻を阻み、曹操との連携を促した官僚
唐周
張角の弟子だったが、馬元義らの蜂起計画を朝廷へ上書して告発した。
陶謙恭祖
字は恭祖。徐州で黄巾が起こると徐州刺史となり、討伐して退けた。
劉虞
宗正から幽州牧となり、本来の官秩を保ったまま州政を担った。
臧覇宣高
字は宣高。黄巾蜂起に際して陶謙に従って戦い、騎都尉となった。
王朗
虞翻の退避案を退けて孫策と戦い、敗れて東冶へ逃れた後に出頭した
鮑鴻
下軍校尉として葛陂黄巾の討伐へ派遣された。
張超
朱儁軍の司馬として南陽黄巾討伐に加わり、韓忠の降伏を受け入れるよう主張した。
韓暹
楊奉と献帝を洛陽へ戻したが、曹操が入城すると退走した将
鄒靖
後漢の校尉。黄巾討伐で劉備とその配下を従軍させた。
郗倹
馬相率いる益州黄巾に殺された益州刺史
耿鄙
涼州刺史。程球を重用し、傅燮の諫言を退けて六郡兵を率いた。狄道で軍が反乱し、程球に続いて殺された。
袁隗
太傅として少帝即位後に何進と輔政し、宮中の混乱では袁紹と詔を偽って樊陵・許相を処刑した。
段珪
中常侍。張讓らと何進殺害に加わり、皇族を北宮から小平津へ連れ出した。盧植・閔貢らに追われ、配下の宦官は河へ身を投じた。
陳琳
何進の主簿。外軍を洛陽へ召す策は強者に兵権を渡して乱を招くと諫めたが、何進は聞き入れなかった。
淳于瓊
西園八校尉の一人で、佐軍校尉に任じられた。
龐紀
何進が広く招いた智謀の士の一人で、腹心に加えられた。
何顒伯求
何進が広く招いた智謀の士の一人で、腹心に加えられた。
陳登
徐州の実務を担い、のち広陵太守として曹操の下邳攻撃に協力した官僚
郭典
鉅鹿太守。皇甫嵩とともに下曲陽の張宝を攻め、これを斬った。
秦頡
南陽太守として張曼成を斬り、朱儁・徐璆らと宛城の黄巾軍を攻めた。
周斌
鉤盾令として、黄巾計画の露見後に宮中や民間の張角関係者を捜査した。
趙謙
汝南太守として黄巾軍と戦い、邵陵で敗れた。
郭勲
幽州刺史。広陽黄巾の襲撃を受け、太守劉衛とともに殺された。
劉衛
広陽太守。広陽黄巾の襲撃を受け、幽州刺史郭勲とともに殺された。
孫観仲台
字は仲台。裴注所引『魏書』では臧覇とともに黄巾を討ち、騎都尉となった。
閻忠
漢陽の元信都令。陳倉敗戦後に韓遂らから諸部の統率を強いられた。脅迫を恥じ、憤りから病死した。
泠征
護羌校尉。湟中義従胡と諸羌の蜂起時に殺され、反乱拡大の最初期の犠牲となった。
陳懿
金城太守。辺章・韓遂らが人質となった騒乱に赴き、反乱側に連れ去られて護羌営で殺された。
左昌
涼州刺史。軍費を横領して蓋勲の諫言を退け、冀城を囲まれて救援を求めた。蓋勲に救われた後、罪を問われて罷免された。
辛曾
涼州従事。阿陽にいた際、冀城救援をためらったが、蓋勲に軍法を示されて従軍した。
孔常
涼州従事。辛曾とともに阿陽へ駐屯し、蓋勲に従って冀城救援へ向かった。
夏育
護羌校尉。畜官で反乱羌に囲まれ、蓋勲ら地方軍の救援を受けた。
崔烈
後漢の司徒。涼州反乱による負担を理由に涼州放棄を唱えたが、傅燮の反論を受けて採用されなかった。
袁滂公熙
後漢の執金吾。張温が車騎将軍として西征軍を編成した際、副将に任じられた。
周慎
後漢の蕩寇将軍。張温の指揮下で榆中へ追撃した。孫堅の補給遮断策を採用せず、逆に補給路を断たれて退却した。
程球
涼州治中。耿鄙に重用されたが利益をむさぼって士人の怨みを買い、狄道の軍内反乱で最初に殺された。
傅幹彦林
傅燮の子。十三歳で漢陽包囲に遭い、父へ生還を勧めた。傅燮から将来を託され、後に扶風太守となった。
楊会
傅燮の主簿。漢陽で死を覚悟した傅燮から、十三歳の傅幹を託された。
蹇碩
霊帝に親任された宦官。西園上軍校尉・元帥として禁軍を統べ、霊帝崩御後に劉協擁立を図ったが、何進に捕らえられ処刑された。
劉焉君郎
刺史の権威不足と人選の弊害を指摘し、牧伯の改置を建議した。建議採用後は監軍使者を兼ねる益州牧として赴任した。
張讓
中常侍。段珪らと何進を宮中へ誘って殺し、宮門攻撃後は少帝と陳留王を小平津へ連れ出した。追撃を受け、最終的に宦官らは河へ身を投じた。
呉匡
何進の部曲将。何進殺害後に袁術と宮門を攻め、さらに董旻とともに何苗を攻め殺した。
閔貢
河南中部掾。王允の命で盧植を追い、小平津で宦官数人を斬った。少帝帰還後、郎中・都亭侯となった。
郭勝
中常侍。何氏を親しく信頼し、蹇碩の計画に同調せず、その書状を何進へ示して蹇碩誅殺につなげた。
潘隠
蹇碩の司馬。旧知の何進へ目配せして暗殺計画を知らせ、何進を軍営へ退避させた。
張懿
後漢の并州刺史。在任中に反乱勢力に殺され、その死が州牧制再設置の背景となった。
竇武游平
後漢の大将軍。陳蕃らと宦官排除を図ったが計画が漏れ、禁軍の離反を受けて敗死した。何進への進言では失敗例として挙げられた。
舞陽君
何皇后と何苗の母。宦官から贈物を受け、何進の宦官排斥を何太后へ批判して宦官側をかばった。
張璋
何進の部曲将。何進に親しく重用され、何進殺害を聞くと呉匡と兵を率いて宮中へ入ろうとした。
樊陵
元太尉。張讓・段珪らの偽詔で司隷校尉に任じられた。何進殺害後、袁紹と袁隗の偽詔で呼び出され、斬られた。
許相
少府。張讓・段珪らの偽詔で河南尹に任じられた。『三國志』では司隷校尉と記され、のち袁紹に斬られた。
董承
衛将軍として萇奴と険路を守り、先行する曹洪を阻んだ
曹嵩巨高
曹騰の養子として家を継ぎ、太尉まで昇った曹操の父。陳寿はその実家の系譜を詳らかにできないとしつつ、曹操を生んだことを明記する。
孔融
北海相として黄巾と戦い、劉備に陶謙救援を求めた名士
虞翻
兵力では孫策を防げないと判断し、王朗に退避を勧めた
陳瑀
地域指導者へ印綬を配って内応を企てたが、海西で呂範らに敗れた
万演
陳瑀から印綬を託され、江南の地域指導者へ内応を働きかけた
許貢
孫策に殺された後、その客が報復して孫策を襲撃した
王琰
荊州へ逃れようとした高幹を上洛で捕らえて斬った都尉
劉寵
後漢の宗室で陳王。陳国を保ったが、袁術の侵攻時に誘い出され、陳相の駱俊とともに殺された
駱俊
陳国の相として劉寵を補佐した。袁術の侵攻時に劉寵とともに誘い出され、殺された
臧洪
張超の功曹。酸棗の壇上で反董卓諸侯を代表して盟誓を読み上げた。
王匡
何進府の掾。太山郡の強弩兵を東方で動員するよう命じられた。
橋瑁
東郡太守。何進の召集により城皋へ駐屯し、宦官誅殺を掲げた。
褚貢
南陽太守。中平元年、張曼成率いる南陽黄巾の攻撃を受けて殺された。
徐璆
荊州刺史。朱儁・秦頡と兵を合わせ、南陽黄巾の趙弘・韓忠らを攻めた。
趙部
益州黄巾が巴郡へ進んだ際に殺された巴郡太守
賈龍
益州従事として馬相を攻め、これを斬った。
毌丘毅
何進の都尉。丹陽へ募兵に向かい、劉備を同行させた。
黄琬
太僕から豫州牧となり、本来の官秩を保ったまま州政を担った。
渠穆
尚方監。張讓らが何進を詰問した場で剣を抜き、嘉徳殿前で何進を斬った。
趙忠
中常侍。蹇碩から何進誅殺への協力を求められたが従わず、政変の最終局面で何苗・袁紹の兵に捕らえられ斬られた。
張津
何進の親客。袁紹の意を受け、黄門・常侍の権力を除いて天下を整えるよう何進へ勧めた。
許涼
何進の大将軍司馬。伍宕とともに天子が兵を率いる儀礼を提案し、平楽観での講武を促した。
伍宕
何進の仮司馬。許涼とともに『太公六韜』を引き、天子による軍事示威を何進へ勧めた。
趙融
西園八校尉の一人で、助軍校尉に任じられた。
董旻
董卓の弟で奉車都尉。呉匡とともに車騎将軍何苗を攻め殺した。
周毖
董卓に信任された尚書。袁紹への追及を緩めて勃海太守に任じるよう伍瓊・何顒らと説いた。のち推薦者の挙兵を理由に董卓に斬られた。
伍瓊徳瑜
董卓に信任された城門校尉。周毖・何顒らと袁紹の赦免と任官を勧めた。推薦した地方官が挙兵すると、董卓に内通を疑われて斬られた。
王叡
後漢末の荊州刺史。霊帝崩御後、劉表がその後任として荊州刺史となった。
胡母班
董卓から詔書を託され袁紹の説得へ向かった執金吾。王匡に捕らえられて殺された。
呉脩
董卓から詔書を託され袁紹の説得へ向かい、王匡に殺された将作大匠。
陳温
曹操の揚州募兵に応じて兵を提供した揚州刺史
周昕
曹操の揚州募兵に応じて兵を提供した丹陽太守
曹寅
王叡に取り調べられ、使者の文書を偽作して孫堅に王叡を討たせた武陵太守
張咨
南陽太守。孫堅軍への対応をめぐり拘束され、軍門で斬られた。
耿武
冀州の兵力と備蓄を挙げて譲渡に反対した長史
閔純
耿武らと冀州譲渡を諫めた別駕
李歴
耿武らと冀州譲渡を諫めた治中
趙浮
韓馥に兵を用いて袁紹を防ぐよう求めた従事
程奐
趙浮とともに抗戦を申し出た従事
段訓
朝廷の任命を伝え、公孫瓚に劉虞処刑を強いられた使者
鮮于輔
劉虞の仇討ちを掲げて旧臣と州兵をまとめた人物
斉周
鮮于輔らと劉虞の仇討ちに加わった旧臣
鮮于銀
州兵を率いて公孫瓚への反撃に加わった騎都尉
劉和
麴義とともに父劉虞の旧臣へ合流した人物
蔡邕
董卓の死を嘆いたため王允に収監され、漢史の完成を願いながら獄死した文人
伏寿
献帝とともに李傕の軍営へ移された皇后
劉範
馬宇らの内応計画に加わり、槐里で戦死した左中郎将
馬宇
馬騰を長安へ招き、内応して李傕らを討とうとした侍中
士孫瑞
王允・呂布と董卓暗殺を計画した尚書僕射
楊彪
献帝を臣下の家へ移す行為を李暹へ諫めた太尉
種邵
馬宇・劉範らと長安での内応を計画した諫議大夫
左霊
献帝が李傕の軍営へ移された際、賈詡と同じ車に乗った官人
曹操孟徳
字は孟徳。曹嵩の子として生まれ、後漢末に挙兵して魏王に至った。赤壁では大軍を率いて南下したが、孫権が派遣した周瑜・程普と劉備の連合軍に初戦で敗れ、軍中の疫病も重なって退いた。
曹洪子廉
曹操の従弟。滎陽で曹操が負傷し乗馬も傷つくと、自分の馬を譲って夜間の脱出を助けた。
鮑信
青州黄巾への慎重策を唱え、曹操を兗州牧に迎えたのち寿張東で戦死した。
衛茲
陳留の孝廉。家財を提供して曹操の挙兵を支援し、のち曹操に兵を分けて滎陽方面へ従軍した。
郭嘉
曹操に仕え、下邳攻囲の継続を進言した軍師
典韋
少数の兵と曹操の陣門を守り、長戟と短兵で敵を食い止めた。曹操が退いた後も戦い続け、多数の傷を負って戦死した
荀彧
曹操の留守に鄄城を守り、程昱と范・東阿を保全した。のち献帝奉迎の政治的意義を説いて曹操の決断を支えた
程昱
荀彧と范・東阿を保全し、曹洪を先行させる献帝奉迎を曹操へ勧めた
于禁
宛からの敗走で部隊を崩さず、略奪した青州兵を処罰した。帰還後は曹操への弁明より陣地構築を優先し、その統率を称えられた
李通
張繡・劉表軍との戦いで曹操が不利になると、夜に兵を率いて合流した。先頭に立って攻め、曹操軍の反撃を支えた
夏侯惇
曹操に従って揚州へ赴き、反董卓軍の兵を募った武将
董昭
荒廃した洛陽から許へ都を移すよう曹操へ勧めた官僚
楼異
濮陽緒戦で落馬し左手を負傷した曹操を馬へ乗せ、退却を助けた司馬
車冑
曹操側の徐州刺史
徐晃
袁紹軍の兵糧輸送を襲う偏将軍
史渙
徐晃と兵糧輸送を襲う将
張郃儁乂
字は儁乂。曹魏の将。巴西で張飛と五十余日にわたり対陣し、狭い山道で別路から精鋭を率いた張飛に邀撃されて敗れた。
劉延
白馬を守る東郡太守
曹整
曹操の子。袁譚の救援要請を受けた曹操が同盟を結ぶ際、袁譚の娘との婚姻が定められた
楽進
李典とともに高幹が守る壺関の攻撃を命じられた曹操軍の将
李典
楽進とともに高幹が守る壺関の攻撃を命じられた曹操軍の将
朱霊
曹操の将。袁術が下邳を通って青州へ向かうのを阻むため、劉備とともに派遣された
曹昂
宛の急襲で負傷しながら自分の馬を父・曹操へ譲り、曹操を逃がした後に戦死した
曹安民
曹操の兄弟の子。宛で張繡軍の急襲を受け、曹昂とともに戦死した
曹均
張繡の帰順後、曹操の取り計らいで張繡の娘と婚姻した
孫堅文台
呉郡富春の将。張温の参軍事として董卓処断と榆中での補給路遮断を進言したが、いずれも採用されなかった。
孫策伯符
字は伯符。孫堅の子。周瑜と同年で特に親しく、周瑜を自ら迎えて建威中郎将に任じ、兵二千人と騎馬五十匹を授けて江東経営をともに進めた。
孫権仲謀
字は仲謀。孫策の後を継いだ江東の君主。曹操の南征に対し周瑜・程普らを劉備との共同戦線へ送り、赤壁後には周瑜を偏将軍・南郡太守に任じた。
周瑜公瑾
字は公瑾。孫策と幼少から親しく、江東進出を支えた将。孫権の命で程普らと劉備に合力し赤壁で曹操軍を退け、のち偏将軍・南郡太守となった。
太史慈
神亭で孫策と一騎で戦い、後に捕らえられると信義を認められて将に迎えられた
呉景
劉繇に追われて歴陽へ退いた後、孫策の江東攻略に協力し、再び丹楊太守となった
孫賁
呉景とともに劉繇軍と戦い、江東平定後は豫章太守に置かれた
韓当
神亭で孫策に従い、沙羨では先登校尉として進撃した
黄蓋
神亭で孫策に従い、沙羨では武鋒校尉として戦った
宋謙
神亭で孫策に従った十三騎の一人
徐逸
呂範とともに海西へ進み、陳瑀の内応計画を破った
呂範
陳瑀を海西で破り、沙羨では征虜中郎将代理として進撃した
祖郎
涇県周辺で孫策に抵抗した後に降り、孫策配下へ加わった
程普徳謀
孫氏に仕えた将。赤壁では孫権により周瑜らとともに派遣され、劉備と力を合わせて曹操軍を迎撃し、初戦で敗退させた軍の一翼を担った。
張昭
重傷の孫策から孫権を支えるよう遺命を受けた
公仇称
孫堅の長史。魯陽から兵を率いて州へ戻り、軍糧の督促を担当した。
祖茂
孫堅の近侍将。梁東で孫堅の赤い頭巾を着けて追撃を引き受け、孫堅の包囲脱出を助けた。
袁紹本初
西園中軍校尉から司隷校尉となり、何進に宦官一掃を繰り返し進言した。何進殺害後は兵を率いて宦官を捕らえ、二千余人が死亡する誅滅を主導した。
袁遺伯業
山陽太守。初平元年に反董卓諸軍と同時に挙兵し、酸棗へ駐屯した。
袁譚顕思
字は顕思。袁紹の長男で青州を拠点とした。窮した袁術を迎えようとしたが、その北上は曹操が派遣した軍に遮られた
袁尚
審配らに擁立されて袁紹を継いだ。袁譚との内戦と曹操軍への敗北を重ね、鄴・中山から烏丸、さらに遼東へ逃れた末、公孫康に殺された
逢紀
公孫瓚の南下を利用する冀州奪取策を立てた謀臣
高幹
荀諶らと韓馥の説得へ赴いた袁紹側の使者
荀諶
韓馥に情勢の危険と冀州譲渡の利を説いた人物
田豊元皓
袁紹の参謀。曹操が張繡を穣で包囲した際、許を急襲して献帝を擁する策を袁紹へ進言した
郭図
南征を推進する袁紹軍の参謀
審配
袁紹軍の軍務と後方を担う将
麴義
強弩を備えた先登隊で公孫瓚軍を破った将
沮授
持久戦と慎重な用兵を説く監軍
顔良
白馬攻撃を任された袁紹軍の将
文醜
延津の追撃部隊を率いる袁紹軍の将
許攸
袁紹から離反して烏巣を教える参謀
韓猛
袁紹軍の兵糧輸送を率いる将
高覧
張郃と曹操本営を攻める将
辛評
袁紹の死後、郭図とともに長男の袁譚を支持し、袁尚を擁立した審配・逢紀と対立した
辛毗
平原で袁尚に包囲された袁譚の使者として曹操へ赴き、降伏と救援を申し入れた。曹操の河北再介入を導く役割を担った
蘇由
審配と鄴を守ったが曹操への内応を企てた。計画が漏れて審配との城内戦に敗れ、曹操軍へ逃れた
馮礼
審配の配下として鄴を守りながら、突門を開いて曹操兵を城内へ入れた
陰夔
鄴救援に敗れた袁尚から陳琳とともに派遣され、曹操へ降伏を申し入れた
馬延
濫口で曹操軍に包囲された袁尚軍から戦場で降伏し、軍勢の崩壊を招いた将
審栄
鄴の東門を守った審配の甥。夜に門を開き、曹操軍を城内へ入れた
袁熙
幽州の配下に攻められると袁尚と三郡烏丸へ逃れ、白狼山敗戦後は遼東へ向かったが公孫康に殺された
焦触
張南らと袁熙・袁尚を攻めて三郡烏丸へ追い払い、配下の県を率いて曹操へ降伏した
張南
焦触らと袁熙・袁尚に反旗を翻し、曹操へ降伏した
周昂
陽城方面で袁術・孫堅側と戦った袁紹側の将
袁術公路
字は公路。汝南袁氏の出身で淮南を支配し、197年に皇帝を僭称した。同盟の破綻と呂布・曹操への敗北で孤立し、最後は袁紹を頼ろうとしたが進路を断たれ、道中で死んだ
韓胤
袁術の使者として呂布との婚姻を進めたが、曹操へ送られ処刑された人物
閻象
袁術の主簿。周文王の故事を挙げ、袁氏の徳は周ほどでなく、漢も殷紂ほど暴虐ではないとして称帝を諫めた
張炯
河内の人物。袁術が197年に皇帝を僭称する際、その符命が根拠として用いられた
張勲
袁術軍の将として徐州への攻撃に加わった人物
萇奴
董承と険路を守り、曹洪の西進を阻んだ袁術配下の将
劉勲
孫策の誘導で上繚へ出兵した隙に皖城を奪われ、曹操のもとへ逃れた
橋蕤
袁術配下の将。袁術の退却後に陳国方面へ残され、曹操軍に敗れて斬られた
李豊
袁術配下の将。橋蕤・梁綱・楽就とともに陳国方面へ残され、曹操軍に敗れて斬られた
梁綱
袁術配下の将。橋蕤らと曹操の東征軍を迎え撃ち、敗れて斬られた
楽就
袁術配下の将。橋蕤らと陳国方面へ残され、曹操軍に敗れて斬られた
舒仲応
袁術の沛相。軍糧として預かった米十万斛を飢民へ配り、処刑を覚悟して民衆を救う意図を述べた
雷薄
袁術の配下だった将。袁術が敗走して灊山へ頼って来ると、その受け入れを拒んだ
陳蘭
袁術の旧部。『三國志』では陳蘭、『後漢書』では陳簡と記され、雷薄とともに灊山で袁術の受け入れを拒んだ
紀霊
袁術軍を率いて小沛の劉備を攻めた将
董卓仲穎
字は仲穎。中郎将として黄巾討伐に出たが、軍が敗れて罪に問われた。
李傕
董卓配下の将。董卓の命で孫堅へ和親を求め、子弟を地方長官に任用する条件を示したが拒絶された。
徐栄
董卓配下の将。滎陽の汴水で曹操軍を破り、一日戦った後、酸棗軍は容易に攻められないと見て退いた。
華雄
董卓軍の都督。陽人で孫堅軍に敗れ、首を斬られた。
賈詡
解散を考えた李傕らへ長安進軍を勧め、献帝の軍営移送にも随行した参謀
楊奉
宋果らと李傕暗殺を計画し、発覚後に兵を率いて離反した将
郭汜
李傕らと長安を奪った董卓旧将。のち李傕と戦い、公卿を拘束した
張済
弘農で兵糧を失い、穣を攻めた際に流れ矢で戦死した。その軍勢は一族の張繡が引き継いだ
胡軫
董卓軍の大督護として陽人へ進んだが、呂布らとの不和から軍を混乱させた陳郡太守
張済
董卓旧将。弘農に駐屯し、李傕と郭汜を調停して献帝の長安脱出を導いた
樊稠
長安を奪った董卓旧将。馬騰を破った後、韓遂との接触を疑われて李傕に殺された
胡赤児
逃亡する牛輔に同行し、財宝を奪うため牛輔を殺した側近
李利
樊稠と韓遂の会見を李傕へ告げ、疑念を生じさせた李傕の甥
李蒙
李傕らと合流して長安包囲に加わった董卓旧将
李暹
李傕の命で宮殿を囲み、献帝と皇后を軍営へ移した甥
牛輔
陝に駐屯した董卓の娘婿。李粛を破った後、軍営から逃れて殺された
宋果
楊奉と李傕暗殺を計画した李傕軍の官吏
田景
董卓の遺体へ駆け寄り、呂布に殺された主簿
王方
李傕らと合流して長安包囲に加わった董卓旧将
呂布奉先
并州の武人。丁原の主簿から董卓に誘われて丁原を斬り、その兵を董卓へ渡した。董卓から騎都尉に任じられ、父子の誓いを結んだ。
張遼
呂布配下として小沛攻撃などに従軍し、下邳陥落後に曹操へ降った将
許汜
従事中郎として張超・陳宮・王楷と曹操への反乱を計画した
王楷
張超・陳宮・許汜と曹操への反乱を計画した
陳宮
曹操軍の留守を預かりながら張邈へ離反を説き、呂布を兗州牧として迎えた。東緡では呂布と一万余人を率いて曹操軍と戦った
呉資
済陰太守として定陶の南城を守り、曹操の急襲に抵抗した
薛蘭
李封と鉅野に駐屯した呂布配下の将
李封
薛蘭と鉅野に駐屯した呂布配下の将
高順
呂布軍の精鋭を率い、小沛の劉備を破った将
成廉
呂布軍の勇将として下邳城外で戦った人物
侯成
呂布配下の将で、下邳籠城の末に離反した人物
侯諧
呂布政権下の彭城相
宋憲
呂布配下の将で、下邳籠城の末に陳宮を捕らえて降った人物
魏続
呂布配下の将で、下邳籠城の末に陳宮を捕らえて降った人物
張弘
下邳で陳登の弟たちを救い出したと伝わる呂布側の役人
李粛
董卓襲撃を率い、のち牛輔討伐に敗れて呂布に処刑された騎都尉
韓遂文約
金城の人。反乱軍に連れ去られ軍政を担い、辺章らの死後に主導権を握った。王国を盟主に推したのち廃し、涼州諸部の中心となった。
馬騰寿成
扶風茂陵の人。耿鄙軍の募兵から軍司馬となったが、軍の崩壊後は兵を擁して韓遂・王国に合流し、後の涼州軍閥の一角を形成した。
北宮伯玉
湟中義従胡の指揮者。李文侯とともに将軍に立てられ、泠征を殺して辺章・韓遂を軍政の担当に据えた。のち韓遂に殺された。
李文侯
湟中義従胡の指揮者。北宮伯玉とともに将軍に立てられて涼州蜂起の発端を担い、のち韓遂に殺された。
辺章
金城の名士。降伏を偽った反乱軍に人質とされ、軍政を任された。韓遂と三輔・美陽・榆中を転戦し、のち韓遂に殺されたと『後漢書』は記す。
王国
漢陽の反乱指揮者。合衆将軍を称して韓遂・馬騰らの盟主となり、陳倉を八十余日囲んだ。撤退時に皇甫嵩に大敗し、のち廃された。
宋建
涼州義従の一人。『献帝春秋』では王国らと降伏を偽り、辺允・韓約らを人質にした蜂起側人物として現れる。
滇吾
句就種羌の人物。狐槃で蓋勲を捕らえた側にいたが、以前の厚遇に報いて殺害を制止した。
黄衍
元酒泉太守。王国の使者として傅燮に反乱軍の師となるよう勧めたが、剣を押さえた傅燮に叱責された。
李相如
隴西太守。反乱して韓遂と連携し、耿鄙の死後に馬騰・王国らと合流した。
張角
魏郡で黄巾を率いて一斉蜂起した指導者。裴注所引『献帝春秋』では天公将軍を称したとされる。
張宝
張角の弟。裴注所引『献帝春秋』では地公将軍を称したと記される。
張梁
張宝の弟。裴注所引『献帝春秋』では人公将軍を称したと記される。
馬元義
荊州・揚州の信徒を鄴へ集める蜂起計画を担い、露見後に洛陽で車裂きとなった。
張曼成
南陽黄巾を率いて太守褚貢を殺し、宛城周辺を占拠した。
波才
潁川黄巾の指揮者。朱儁を破った後、長社で皇甫嵩・朱儁・曹操らに敗れた。
張燕
黄巾蜂起に応じて兵を集め、張牛角の死後に黒山勢力を率いた。
張牛角
黒山勢力の初期指揮者。癭陶攻撃で矢傷を負い、張燕に軍勢を託した。
何儀
汝南・潁川で数万を率い、曹操に敗れて軍勢とともに降伏した。
劉辟
汝南・潁川黄巾の指揮者。曹操の討伐で斬られた。
黄邵
汝南・潁川黄巾の指揮者。曹操の討伐で斬られた。
何曼
汝南・潁川で数万を率いた黄巾指揮者の一人。
封諝
後漢の中常侍でありながら、馬元義の蜂起計画に内応するとされた。
徐奉
後漢の中常侍でありながら、封諝とともに馬元義の蜂起計画へ内応するとされた。
彭脱
汝南方面の黄巾指揮者。西華で皇甫嵩・朱儁に攻撃され敗れた。
卜己
東郡黄巾の指揮者。倉亭で皇甫嵩に捕らえられた。
趙弘
張曼成の死後に南陽黄巾を率いて宛城に拠り、朱儁に斬られた。
韓忠
趙弘の死後に宛城へ拠った黄巾指揮者。朱儁へ降伏した後、秦頡に殺された。
孫夏
韓忠の死後に南陽黄巾を率いたが、朱儁に追撃され敗れた。
孫軽
配下を率いて張燕に従った黒山勢力の小帥。
王当
配下を率いて張燕に従った黒山勢力の小帥。
張伯
『後漢書』李賢注所引『続漢書』に、傅燮軍が斬った黄巾の三指揮者の一人として見える。
梁仲寧
『後漢書』李賢注所引『続漢書』に、傅燮軍が斬った黄巾の三指揮者の一人として見える。
郭大
中平五年に白波谷で蜂起し、太原・河東を攻めた黄巾残党の指揮者。
馬相
益州で黄巾を率いて自ら天子を称し、賈龍に討たれた。
劉繇
横江・当利口に軍を置いて孫策を防いだが、敗れて豫章へ退いた
張繡
叔父・張済の軍を継いで宛に駐屯した。曹操へ一度降伏したが急襲して曹昂・典韋らを倒し、劉表と連携して抗戦した。賈詡の進言に従い199年に曹操へ帰順した
張楊
河内の野王を拠点とした軍閥。献帝の洛陽帰還を望み、帰路へ食糧を届けて到着を支えた
田疇
沿岸路が雨で塞がれると盧龍塞を通る奇襲路を提案し、自ら配下を率いて曹操軍を白狼山方面へ案内した
張邈孟卓
陳留太守。酸棗へ諸軍と駐屯し、衛茲に兵を分けて曹操の西進へ参加させたが、曹操の進軍策は採用しなかった。
曹豹
陶謙配下の将として劉備と郯東に駐屯し、曹操軍を迎えた
張世平
中山の大商人。涿郡で劉備を非凡と見て、蘇双らとともに多額の金財を提供した。
蘇双
中山の大商人。涿郡で劉備を非凡と見て、張世平らとともに多額の金財を提供した。
張闓
『呉書』では陶謙から曹嵩の護送を命じられた都尉。財物を奪って曹嵩を殺し、淮南へ逃れた
闕宣
下邳で数千人を集めて天子を称し、陶謙とともに泰山郡・任城へ進出した
李進
乗氏で呂布軍を破った県人
樊能
于麋と横江津に駐屯して袁術・孫策側の渡河を阻んだ
于麋
樊能とともに横江津へ駐屯した
張英
長江の渡河点で孫策側を防いだ
薛礼
劉繇を盟主と仰いで秣陵城を守ったが、孫策の攻撃で逃走した
笮融
孫策軍と戦って城へ退き、堅固な陣地で抵抗した
厳白虎
一万余の人々を集めて抵抗したが、孫策に破られた
焦已
祖郎らとともに陳瑀から印綬を送られ、孫策への内応を求められた
蹋頓
袁紹と結び付きの深い遼西烏丸の指導者。袁尚・袁熙を受け入れて曹操軍を迎え撃ったが、白狼山で討たれた
楼班
袁尚・袁熙、蹋頓らと数万騎を率いて曹操軍を迎え撃った遼西烏丸の単于
能臣抵之
袁尚・袁熙、蹋頓らと曹操軍を迎え撃った右北平烏丸の単于
公孫康
遼東へ逃れた袁尚・袁熙を受け入れた後、両者と速僕丸を殺して首級を曹操へ送った
速僕丸
白狼山敗戦後に袁尚・袁熙と遼東へ逃れ、公孫康に殺された
胡車児
張繡軍で最も勇敢とされ、曹操から金を与えられた。張繡は曹操が胡車児を使って自分を殺そうとしているのではないかと疑った
孔伷公緒
豫州刺史。初平元年に反董卓諸軍と同時に挙兵し、潁川に駐屯した。
蘇代
呉郡出身の長沙太守。劉表赴任時、兵を擁して荊州南部で自立していたと『戦略』に記される。
具羽
華容県長。劉表赴任時、兵を擁して荊州で自立していたと『戦略』に記される。
張虎
江夏の武装勢力の指導者。陳生と襄陽を占拠したが、蒯越・龐季の説得を受けて劉表に降った。
陳生
江夏の武装勢力の指導者。張虎と襄陽を占拠したが、蒯越・龐季の説得を受けて劉表に降った。
王肱
劉岱が橋瑁を殺した後、東郡太守を代行した人物
閻柔
烏丸司馬に推され、烏丸・鮮卑を集めた指導者