出来事の詳細 193年 - 195年

曹操の徐州侵攻と兗州争奪

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193年、徐州牧陶謙闕宣の軍事行動を背景として曹操徐州へ侵攻し、彭城陶謙軍を破る。翌194年、曹操は父曹嵩の死を陶謙の責任として再び徐州へ進軍するが、その留守に兗州張邈陳宮らが離反して呂布を迎える。曹操徐州攻略を中断して兗州へ帰還し、濮陽などで呂布と長期戦を展開

この出来事の要点

人物一覧

展開

  1. 01

    闕宣・陶謙の任城侵攻

    天子を称した闕宣と徐州牧陶謙が連携し、兗州南東部の任城まで軍を進めた。徐州側から兗州へ及んだ攻勢が、曹操の反攻に先立つ局面となった。

  2. 02

    曹嵩殺害

    譙を離れた曹操の父曹嵩は、琅邪から曹操の勢力圏へ移動する途上で殺害された。陶謙配下の都尉張闓は曹嵩を殺し、財物を奪って淮南へ逃れた。

  3. 03

    第一次徐州侵攻

    闕宣・陶謙の任城進出後、曹操は徐州へ反攻して十余城を攻略した。陶謙は籠城し、両勢力の争いは彭城での大規模戦闘へ進んだ。

  4. 04

    彭城の戦いと泗水の惨禍

    彭城で陶謙軍を破った曹操軍は、数万規模の死者を出す惨禍を生んだ。徐州侵攻が領土争いを越えて、多数の犠牲を伴う戦役へ転じた局面となった。

  5. 05

    陶謙の救援要請と田楷・劉備の来援

    曹操の徐州侵攻を受け、陶謙は青州方面の田楷に救援を求めた。田楷と行動していた劉備も徐州へ入り、陶謙の救援に加わった。

  6. 06

    陶謙、劉備に丹楊兵四千を増援

    陶謙は救援に来た劉備へ丹楊兵四千を加え、外部からの援軍だった劉備を徐州防衛の有力な一隊へ組み込んだ。

  7. 07

    劉備の陶謙への帰属と小沛駐屯

    劉備は田楷の指揮系統を離れて陶謙に属した。陶謙は劉備を豫州刺史に上表し、小沛に駐屯させた。

  8. 08

    第二次徐州侵攻

    曹操は荀彧・程昱に兗州の留守を託して徐州へ再侵攻し、五城を落として東海まで進んだ。主力が徐州深部へ進む一方、本拠の防備は留守軍に委ねられた。

  9. 09

    郯東の戦いと徐州虐殺

    曹豹と劉備の迎撃を破った曹操軍は襄賁を落とし、進路上で多数を殺害した。第二次侵攻は徐州深部の攻略から広範な殺戮へ拡大した。

  10. 10

    張邈・陳宮らの離反と呂布擁立

    曹操軍が徐州遠征を続ける間、張超・陳宮・許汜・王楷らは張邈を動かして離反し、呂布を兗州牧として迎えた。曹操は敵地に主力を置いたまま本拠の大半を失った。

  11. 11

    鄄城・范・東阿の保持と曹操の帰還

    兗州の郡県の多くが呂布側に呼応した一方、荀彧・程昱らは鄄城・范県・東阿を確保した。曹操は徐州遠征を中断して兗州へ戻った。

  12. 12

    濮陽緒戦

    濮陽攻防の初戦では呂布の騎兵が青州兵を崩し、曹操軍の陣形を乱した。曹操自身も落馬して左手を負傷し、兗州奪回戦は苦戦から始まった。

  13. 13

    濮陽城内からの曹操脱出

    田氏の内応で濮陽城内へ入った曹操軍は、退路を断つ構えを示したものの敗北した。曹操は呂布軍に本人と見抜かれず、燃える門を抜けて辛くも脱出した。

  14. 14

    百余日の対陣と蝗害

    濮陽で決着をつけられないまま対陣は百余日に及び、蝗害と飢饉で双方の兵糧が尽きた。曹操・呂布両軍は戦闘ではなく補給の破綻によって撤退した。

  15. 15

    袁紹連和案と程昱の諫止

    袁紹が燕・趙を擁するなか、兗州と軍糧を失った曹操は連和案と家族の鄴移住を受け入れかけた。程昱の諫止で翻意し、袁紹の傘下に入る危機を避けた。

  16. 16

    乗氏での呂布敗戦

    濮陽から両軍が離れた後、呂布は乗氏へ移動したが、現地の李進に敗れ、東へ移って山陽に駐屯した。

  17. 17

    陶謙死去と劉備の徐州継承

    陶謙は病没し、別駕麋竺ら徐州側の人士が劉備を迎えた。劉備は当初辞退したが、陳登・孔融らの勧めを受けて徐州を領した。

  18. 18

    定陶南城の攻防

    興平二年(195年)春、曹操は定陶を急襲した。済陰太守呉資が南城を守って抵抗し、曹操はすぐには攻略できなかった。そこへ呂布が来援したが、曹操はこれを撃破する。

  19. 19

    鉅野の薛蘭・李封撃破

    呂布配下の薛蘭・李封が鉅野に駐屯すると、曹操はこれを攻撃した。呂布の救援も退けて両将を破り、曹操側が兗州奪回の主導権を握った。

  20. 20

    東緡の伏兵戦と呂布の敗退

    呂布と陳宮は一万余を率いて東緡から曹操軍に再挑戦した。兵力の少ない曹操は堤防と樹林に伏兵を置き、奇兵を放って呂布軍を大破した。

  21. 21

    定陶陥落と呂布の兗州離脱

    東緡で敗れた呂布は夜間に退却し、曹操は定陶を攻略して周辺諸県を平定した。呂布は東へ逃れて劉備を頼った。

  22. 22

    雍丘陥落と兗州平定

    曹操は張超が守る雍丘を数か月包囲して陥落させた。張邈も袁術へ救援を求める途中で殺害され、反曹操勢力の拠点が失われて兗州争奪は終結した。