張邈の弟として反乱に参加
その他地方勢力
張超は張邈の弟として反乱に参加としてこの展開に関わった。曹操軍が徐州遠征を続ける間、張超・陳宮・許汜・王楷らは張邈を動かして離反し、呂布を兗州牧として迎えた。曹操は敵地に主力を置いたまま本拠の大半を失った。張超は雍丘を守る反曹操軍の指揮者としてこの展開に関わった。曹操は張超が守る雍丘を数か月包囲して陥落させた。張邈も袁術へ救援を求める途中で殺害され、反曹操勢力の拠点が失われて兗州争奪は終結した
原文
張邈從布,使其弟超將家屬保雍丘。秋八月,圍雍丘。
十二月,雍丘潰,超自殺。夷邈三族。邈詣袁術請救,爲其衆所殺,兗州平。
興平元年,太祖復征謙,邈弟超,與太祖將陳宮、從事中郎許汜、王楷共謀叛太祖。
宮說邈曰:「今州軍東征,其處空虛,呂布壯士,善戰無前,若權迎之,共牧兖州。」邈從之。
太祖初使宮將兵留屯東郡,遂以其衆東迎布爲兖州牧,據濮陽。