193年 - 195年

曹操の徐州侵攻と兗州争奪

陶謙恭祖とうけん

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徐州牧として闕宣と共同して華・費を取り任城へ進出

徐州勢力

陶謙は徐州牧として闕宣と共同して華・費を取り任城へ進出としてこの展開に関わった。天子を称した闕宣と徐州牧陶謙が連携し、兗州南東部の任城まで軍を進めた。徐州側から兗州へ及んだ攻勢が、曹操の反攻に先立つ局面となった。陶謙は徐州を治める州牧としてこの展開に関わった。陶謙は病没し、別駕麋竺ら徐州側の人士が劉備を迎えた。劉備は当初辞退したが、陳登・孔融らの勧めを受けて徐州を領した

陶謙に関連する出来事一覧

原文

自京師遭董卓之亂,人民流移東出,多依彭城間。遇太祖至,坑殺男女數萬口於泗水,水爲不流。陶謙帥其衆軍武原,太祖不得進。引軍從泗南攻取慮、睢陵、夏丘諸縣,皆屠之;鷄犬亦盡,墟邑無復行人。
日本語対訳

都で董卓の乱が起きて以来、人々は東へ流れ、彭城周辺に多く身を寄せていた。曹操が来ると、男女数万人を泗水で殺したため、水が流れなくなった。陶謙は軍勢を率いて武原に駐屯し、曹操は進めなかった。曹操は軍を率いて泗水の南から慮・睢陵・夏丘の諸県を攻略して皆殺しにし、鶏や犬までいなくなり、町や村には通行人もいなくなった。

陳登曰:「今漢室陵遲,海內傾覆,立功立事,在於今日。彼州殷富,戶口百萬,欲屈使君撫臨州事。」
日本語対訳

陳登は言った。『いま漢王朝は衰え、天下は崩れようとしています。功業を立てるのは今日です。この州は豊かで、戸口は百万あります。どうか使君に州の政務をお執りいただきたい』。

北海相孔融謂先主曰:「袁公路豈憂國忘家者邪?冢中枯骨,何足介意。今日之事,百姓與能,天與不取,悔不可追。」先主遂領徐州。
日本語対訳

北海相の孔融は劉備に言った。『袁公路が国を憂え、家を忘れる者でしょうか。墓の中の枯れ骨にすぎず、気にする必要はありません。今日のことは、民が有能な者を選ぶものです。天が与えるものを受け取らなければ、悔やんでも及びません』。劉備はついに徐州を治めた。

先主曰:「袁公路近在壽春,此君四世五公,海內所歸,君可以州與之。」登曰:「公路驕豪,非治亂之主。今欲為使君合步騎十萬,上可以匡主濟民,成五霸之業,下可以割地守境,書功於竹帛。若使君不見聽許,登亦未敢聽使君也。」
日本語対訳

劉備は言った。『袁公路が近くの寿春にいます。その家は四代に五人の三公を出し、天下の人が頼っています。あなたは徐州を彼に与えるとよいでしょう』。陳登は、袁術はおごり高ぶって乱世を治める人物ではないと退け、劉備のために歩兵と騎兵十万を集め、上は君主を助けて民を救い、下は領地を守って功績を歴史に残したいと答えた。

陳登等遣使詣袁紹曰:「天降災沴,禍臻鄙州,州將殂殞,生民無主,恐懼姦雄一旦承隙,以貽盟主日昃之憂,輒共奉故平原相劉備府君以為宗主,永使百姓知有依歸。方今寇難縱橫,不遑釋甲,謹遣下吏奔告于執事。」紹答曰:「劉玄德弘雅有信義,今徐州樂戴之,誠副所望也。」
日本語対訳

陳登らは袁紹に使者を送り、『州の長官が亡くなり、民には主がいません。奸雄が隙につけ込むことを恐れ、旧平原相の劉備を宗主として奉じ、民が頼る先を持てるようにしました』と報告した。袁紹は、『劉玄徳は度量が広く信義があり、徐州が喜んで彼を戴くのは、まことに望みにかなっている』と答えた。