193年 - 195年 曹操の徐州侵攻と兗州争奪 許汜きょし 出来事に戻る 張邈・陳宮らと曹操への離反を共謀した従事中郎その他地方勢力 許汜は張邈・陳宮らと曹操への離反を共謀した従事中郎としてこの展開に関わった。曹操軍が徐州遠征を続ける間、張超・陳宮・許汜・王楷らは張邈を動かして離反し、呂布を兗州牧として迎えた。曹操は敵地に主力を置いたまま本拠の大半を失った 伝 許汜に関連する出来事一覧 原文 陳寿本文巻七 呂布伝・張邈・陳宮らの離反と呂布擁立 興平元年,太祖復征謙,邈弟超,與太祖將陳宮、從事中郎許汜、王楷共謀叛太祖。 日本語対訳興平元年、曹操が再び陶謙を征討すると、張邈の弟張超は、曹操の将陳宮、従事中郎の許汜、王楷とともに曹操への反乱を企てた。 陳寿本文巻七 呂布伝・張邈・陳宮らの離反と呂布擁立 宮說邈曰:「今州軍東征,其處空虛,呂布壯士,善戰無前,若權迎之,共牧兖州。」邈從之。 日本語対訳陳宮は張邈に説いた。『いま州軍は東征し、その本拠は空いています。呂布は勇壮で、戦えば並ぶ者がいません。ひとまず彼を迎え、ともに兗州を治めてはいかがでしょう』。張邈はこれに従った。 陳寿本文巻七 呂布伝・張邈・陳宮らの離反と呂布擁立 太祖初使宮將兵留屯東郡,遂以其衆東迎布爲兖州牧,據濮陽。 日本語対訳曹操は当初、陳宮に兵を率いさせて東郡に留め置いていた。陳宮はその軍勢を率いて東へ向かい、呂布を兗州牧として迎え、濮陽を拠点とした。
陳寿本文巻七 呂布伝・張邈・陳宮らの離反と呂布擁立 興平元年,太祖復征謙,邈弟超,與太祖將陳宮、從事中郎許汜、王楷共謀叛太祖。 日本語対訳興平元年、曹操が再び陶謙を征討すると、張邈の弟張超は、曹操の将陳宮、従事中郎の許汜、王楷とともに曹操への反乱を企てた。
陳寿本文巻七 呂布伝・張邈・陳宮らの離反と呂布擁立 宮說邈曰:「今州軍東征,其處空虛,呂布壯士,善戰無前,若權迎之,共牧兖州。」邈從之。 日本語対訳陳宮は張邈に説いた。『いま州軍は東征し、その本拠は空いています。呂布は勇壮で、戦えば並ぶ者がいません。ひとまず彼を迎え、ともに兗州を治めてはいかがでしょう』。張邈はこれに従った。
陳寿本文巻七 呂布伝・張邈・陳宮らの離反と呂布擁立 太祖初使宮將兵留屯東郡,遂以其衆東迎布爲兖州牧,據濮陽。 日本語対訳曹操は当初、陳宮に兵を率いさせて東郡に留め置いていた。陳宮はその軍勢を率いて東へ向かい、呂布を兗州牧として迎え、濮陽を拠点とした。