193年 - 195年

曹操の徐州侵攻と兗州争奪

展開04

彭城の戦いと泗水の惨禍

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彭城で陶謙軍を破った曹操軍は、数万規模の死者を出す惨禍を生んだ。徐州侵攻が領土争いを越えて、多数の犠牲を伴う戦役へ転じた局面となった。

関係する人物

曹操勢力

徐州勢力

原文

自京師遭董卓之亂,人民流移東出,多依彭城間。遇太祖至,坑殺男女數萬口於泗水,水爲不流。陶謙帥其衆軍武原,太祖不得進。引軍從泗南攻取慮、睢陵、夏丘諸縣,皆屠之;鷄犬亦盡,墟邑無復行人。
日本語対訳

都で董卓の乱が起きて以来、人々は東へ流れ、彭城周辺に多く身を寄せていた。曹操が来ると、男女数万人を泗水で殺したため、水が流れなくなった。陶謙は軍勢を率いて武原に駐屯し、曹操は進めなかった。曹操は軍を率いて泗水の南から慮・睢陵・夏丘の諸県を攻略して皆殺しにし、鶏や犬までいなくなり、町や村には通行人もいなくなった。