193年 - 195年

曹操の徐州侵攻と兗州争奪

孔融こうゆう

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劉備の徐州継承を後押し

後漢朝廷

孔融は劉備の徐州継承を後押しとしてこの展開に関わった。陶謙は病没し、別駕麋竺ら徐州側の人士が劉備を迎えた。劉備は当初辞退したが、陳登・孔融らの勧めを受けて徐州を領した

孔融に関連する出来事一覧

原文

陳登曰:「今漢室陵遲,海內傾覆,立功立事,在於今日。彼州殷富,戶口百萬,欲屈使君撫臨州事。」
日本語対訳

陳登は言った。『いま漢王朝は衰え、天下は崩れようとしています。功業を立てるのは今日です。この州は豊かで、戸口は百万あります。どうか使君に州の政務をお執りいただきたい』。

北海相孔融謂先主曰:「袁公路豈憂國忘家者邪?冢中枯骨,何足介意。今日之事,百姓與能,天與不取,悔不可追。」先主遂領徐州。
日本語対訳

北海相の孔融は劉備に言った。『袁公路が国を憂え、家を忘れる者でしょうか。墓の中の枯れ骨にすぎず、気にする必要はありません。今日のことは、民が有能な者を選ぶものです。天が与えるものを受け取らなければ、悔やんでも及びません』。劉備はついに徐州を治めた。

先主曰:「袁公路近在壽春,此君四世五公,海內所歸,君可以州與之。」登曰:「公路驕豪,非治亂之主。今欲為使君合步騎十萬,上可以匡主濟民,成五霸之業,下可以割地守境,書功於竹帛。若使君不見聽許,登亦未敢聽使君也。」
日本語対訳

劉備は言った。『袁公路が近くの寿春にいます。その家は四代に五人の三公を出し、天下の人が頼っています。あなたは徐州を彼に与えるとよいでしょう』。陳登は、袁術はおごり高ぶって乱世を治める人物ではないと退け、劉備のために歩兵と騎兵十万を集め、上は君主を助けて民を救い、下は領地を守って功績を歴史に残したいと答えた。

陳登等遣使詣袁紹曰:「天降災沴,禍臻鄙州,州將殂殞,生民無主,恐懼姦雄一旦承隙,以貽盟主日昃之憂,輒共奉故平原相劉備府君以為宗主,永使百姓知有依歸。方今寇難縱橫,不遑釋甲,謹遣下吏奔告于執事。」紹答曰:「劉玄德弘雅有信義,今徐州樂戴之,誠副所望也。」
日本語対訳

陳登らは袁紹に使者を送り、『州の長官が亡くなり、民には主がいません。奸雄が隙につけ込むことを恐れ、旧平原相の劉備を宗主として奉じ、民が頼る先を持てるようにしました』と報告した。袁紹は、『劉玄徳は度量が広く信義があり、徐州が喜んで彼を戴くのは、まことに望みにかなっている』と答えた。