陳宮は曹操配下から離反し、呂布擁立を主導した策謀者としてこの展開に関わった。曹操軍が徐州遠征を続ける間、張超・陳宮・許汜・王楷らは張邈を動かして離反し、呂布を兗州牧として迎えた。曹操は敵地に主力を置いたまま本拠の大半を失った。陳宮は呂布軍の作戦を担う参謀としてこの展開に関わった。呂布と陳宮は一万余を率いて東緡から曹操軍に再挑戦した。兵力の少ない曹操は堤防と樹林に伏兵を置き、奇兵を放って呂布軍を大破
原文
布復從東緍與陳宮將萬餘人來戰,時太祖兵少,設伏,縱奇兵擊,大破之。
裴注之引用書・裴注之引用書巻一 武帝紀・曹操・東緡の伏兵戦と呂布の敗退
屯西有大隄,其南樹木幽深。太祖隱兵隄裏,出半兵隄外。布進,乃令輕兵挑戰,既合,伏兵乃悉乘隄,步騎並進,大破之。
郡縣皆應。荀彧、程昱保鄄城,范、東阿二縣固守,太祖乃引軍還。
又與程昱計,使説范、東阿,卒全三城,以待太祖。
興平元年,太祖復征謙,邈弟超,與太祖將陳宮、從事中郎許汜、王楷共謀叛太祖。
宮說邈曰:「今州軍東征,其處空虛,呂布壯士,善戰無前,若權迎之,共牧兖州。」邈從之。
太祖初使宮將兵留屯東郡,遂以其衆東迎布爲兖州牧,據濮陽。