194年 - 200年
孫策が長江を渡り、各地の勢力を破って孫氏の江東支配を築いた
孫策は江東進出を袁術に願い出て、父・孫堅の旧軍千余人と官号を得て歴陽へ進んだ。
歴陽で周瑜が兵を率いて孫策に合流した。孫策軍は劉繇配下が守る横江津と当利口を破り、長江南岸への進路を開いた。
孫策は長江を渡って劉繇方の牛渚営を攻め、食糧と武器を確保した。
孫策は秣陵周辺で薛礼・笮融と戦い、笮融の堅陣を避けて劉繇方の別軍を破った後、湖孰と江乗を攻略した。
偵察中の太史慈と少数騎を率いた孫策が一騎で戦い、双方の軍が到着して離れた。
孫策が張英・樊能らを破ると、劉繇は丹徒を経て豫章へ退いた。孫策は曲阿で降伏者を赦し、従軍希望者を募って軍勢を拡大した。
会稽太守王朗は城を守って孫策と戦ったが敗れ、東冶まで退いた後に孫策へ出頭した。
孫策は呉郡に割拠する厳白虎らを破り、江東諸郡へ長吏を置いて支配を整えた。
袁術が皇帝を称すると、孫策は書状で諫めたうえで関係を断った。
陳瑀が厳白虎や祖郎らへ印綬を送り背後を衝こうとしたため、孫策は呂範らに海西を攻めさせた。
孫策は涇県で太史慈を捕らえて将に迎え、山越勢力を率いた祖郎も降して江東内部を固めた。
孫策は劉勲に上繚の宗民を攻めるよう勧め、劉勲の出兵後、周瑜と歩兵二万を率いて皖城を急襲した。
孫策は周瑜・呂範・程普・孫権・韓当・黄蓋らを率い、沙羨で黄祖と劉表の援軍を破った。
許への進軍を準備していた孫策は許貢の客に襲われ、張昭らへ弟・孫権を託して死去した。