出来事の詳細 184年 - 189年

涼州の乱

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北宮伯玉らの蜂起から韓遂馬騰らの台頭、陳倉敗戦後の分裂まで続いた涼州の大乱

この出来事の要点

人物一覧

展開

  1. 01

    湟中義従胡と諸羌の蜂起

    北地・枹罕・河関の反乱勢力が合流し、北宮伯玉・李文侯を将軍に立てて護羌校尉を殺した。

  2. 02

    金城陥落と辺章・韓遂の連行

    反乱軍が金城を乱し、陳懿を殺して、辺章・韓遂へ軍政を担わせた。

  3. 03

    冀城包囲と蓋勲の救援

    辺章らが涼州刺史左昌を冀城に囲むと、蓋勲が阿陽から救援し包囲を解かせた。

  4. 04

    狐槃の敗戦

    夏育救援へ向かった蓋勲らが狐槃で敗れ、蓋勲は重傷を負って捕らえられた。

  5. 05

    三輔侵入と皇甫嵩罷免

    辺章・韓遂軍が数万騎で三輔へ入り、皇甫嵩・董卓が迎撃したが皇甫嵩は罷免された。

  6. 06

    涼州放棄論

    長引く徴発を受けて崔烈が涼州放棄を唱え、傅燮が要衝を捨てるべきでないと退けた。

  7. 07

    張温西征軍の集結

    張温が十余万を美陽へ集め、董卓・周慎・孫堅・陶謙らを西征軍に組み込んだ。

  8. 08

    孫堅の董卓斬罪進言

    孫堅は召命に遅れて不遜に応じた董卓を軍法で斬るよう張温へ進言したが、採用されなかった。

  9. 09

    美陽の反撃

    董卓・鮑鴻らが退却を始めた辺章・韓遂軍を攻め、数千を斬って榆中へ退けた。

  10. 10

    榆中追撃の失敗

    周慎は孫堅の補給遮断策を退けて榆中を囲み、逆に運道を断たれて退いた。

  11. 11

    望垣からの脱出

    先零羌に包囲された董卓は堰を使って密かに渡河し、諸軍で唯一全軍を保って戻った。

  12. 12

    韓遂の指導権掌握

    張温の帰還後、韓遂は辺章・北宮伯玉・李文侯を殺し、十余万を擁して隴西を囲んだ。

  13. 13

    耿鄙軍の崩壊

    傅燮の警告どおり六郡軍が狄道で反乱し、程球と耿鄙を殺して漢陽へ進んだ。

  14. 14

    漢陽包囲と傅燮の戦死

    王国軍が漢陽を囲み、傅燮は帰郷・勧降を拒んで出撃し、戦死した。

  15. 15

    馬騰・王国らの合流

    馬騰・李相如・王国らが韓遂へ合流し、王国を盟主に推して三輔へ進んだ。

  16. 16

    少府転任と兵権返上拒否

    朝廷は董卓を少府へ転任させて兵を皇甫嵩へ渡すよう命じたが、董卓は兵士の慰撫を理由に従わなかった。

  17. 17

    陳倉八十余日の包囲

    王国が陳倉を囲むと、皇甫嵩は急戦を避け、堅城を頼みに敵の疲弊を待った。

  18. 18

    王国軍への追撃

    撤退する王国軍を皇甫嵩が追撃し、一万余を斬って大破した。

  19. 19

    王国の死・廃立と諸部の分裂

    陳倉敗戦後、王国は逃走中に死んだとも韓遂らに廃されたとも伝わり、閻忠の死後に諸部は分裂した。

  20. 20

    并州牧転任と再度の兵権返上拒否

    并州牧への転任時にも董卓は兵を皇甫嵩へ渡さず、配下を保ったまま何進の召集を受けた。