原文
中平元年,北地羌胡與邊章等寇亂隴右,刺史左昌因軍興斷盜數千萬。勳固諫,昌怒,乃使勳別屯阿陽以拒賊鋒,欲因軍事罪之,而勳數有戰功。邊章等遂攻金城,殺郡守陳懿,勳勸昌救之,不從。邊章等進圍昌於冀,昌懼而召勳。勳初與從事辛曾、孔常俱屯阿陽,及昌檄到,曾等疑不肯赴。勳怒曰:「昔莊賈後期,穰苴奮鉞。今之從事,豈重於古之監軍哉!」曾等懼而從之。勳即率兵救昌。到,乃誚讓章等,責以背叛之罪。皆曰:「左使君若早從君言,以兵臨我,庶可自改。今罪已重,不得降也。」乃解圍而去。
中平元年、北地の羌胡と辺章らが隴右を侵して乱を起こすと、涼州刺史の左昌は軍事動員に乗じて数千万を横領した。蓋勲が強く諫めると左昌は怒り、蓋勲を阿陽へ別駐させて敵の先鋒を防がせ、軍事上の失敗にかこつけて罪に陥れようとしたが、蓋勲はたびたび戦功を立てた。辺章らが金城を攻めて太守の陳懿を殺すと、蓋勲は左昌に救援を勧めたが、左昌は従わなかった。辺章らが進んで冀城の左昌を包囲すると、左昌は恐れて蓋勲を呼び戻した。蓋勲は当初、従事の辛曾・孔常と阿陽に駐屯していたが、左昌の檄文が届いても二人はためらって赴こうとしなかった。蓋勲は怒り、「昔、荘賈が期限に遅れると、司馬穰苴は斧鉞を振るって処刑した。今の従事は、古の監軍より重い身分だというのか」と言った。辛曾らは恐れて従い、蓋勲はただちに兵を率いて左昌を救援した。到着すると辺章らを叱責し、背いた罪を問いただした。辺章らは「左使君が早くあなたの言葉に従い、兵を率いて我々に臨んでいれば、あるいは改めることもできたでしょう。いまや罪はすでに重く、降伏できません」と答え、包囲を解いて去った。
時叛羌圍護羌校尉夏育於畜官,勳與州郡合兵救育,至狐盤,為羌所破。勳收餘眾百餘人,為魚麗之陳。羌精騎夾攻之急,士卒多死。勳被三創,堅不動,乃指木表曰:「必屍我於此。」句就種羌滇吾素為勳所厚,乃以兵扞眾曰:「蓋長史賢人,汝曹殺之者為負天。」勳仰罵曰:「死反虜,汝何知?促來殺我!」眾相視而驚。滇吾下馬與勳,勳不肯上,遂為賊所執。羌戎服其義勇,不敢加害,送還漢陽。
そのころ、反乱した羌が護羌校尉の夏育を畜官で包囲した。蓋勲は州郡の兵と合流して夏育を救援したが、狐槃に至ったところで羌に敗れた。蓋勲は残兵百余人を集めて魚麗の陣を組んだが、羌の精鋭騎兵が左右から激しく攻め、兵士の多くが死んだ。蓋勲は三か所に傷を負っても動かず、木の標識を指して「必ずここに私の屍をさらせ」と言った。句就種羌の滇吾は以前から蓋勲に厚遇されていたので、兵を率いて群衆を遮り、「蓋長史は賢人である。お前たちがこの人を殺せば天に背くことになる」と言った。蓋勲は仰向いて「死すべき反逆者め、お前に何が分かる。早く来て私を殺せ」と罵り、群衆は顔を見合わせて驚いた。滇吾は馬を下りて蓋勲へ譲ったが、蓋勲は乗ろうとせず、ついに反乱軍に捕らえられた。羌戎はその義勇に敬服して危害を加えず、漢陽へ送り返した。