184年 - 189年

涼州の乱

耿鄙こうひ

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涼州刺史・六郡軍指揮官

後漢涼州討伐・地方軍

程球を重用して人心を失い、傅燮の警告を退けて出兵した。狄道で自軍が反乱し殺された。

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原文

時刺史耿鄙委任治中程球,球為通姦利,士人怨之。中平四年,鄙率六郡兵討金城賊王國、韓遂等。燮知鄙失眾,必敗,諫曰:「今率不習之人,越大隴之阻,將十舉十危。萬一內變,雖悔無及。」鄙不從。行至狄道,果有反者,先殺程球,次害鄙,賊遂進圍漢陽。
日本語対訳

当時、涼州刺史の耿鄙は治中の程球へ政治を委ねて信任していたが、程球は悪事を通じて利益をむさぼり、士人はこれを怨んでいた。中平四年、耿鄙は六郡の兵を率いて金城の賊である王国・韓遂らを討とうとした。傅燮は耿鄙が人心を失っており必ず敗れると知り、「いま訓練されていない人々を率い、大隴の険阻を越えるなら、十たび行えば十たび危ういでしょう。万一、内部で変事が起これば、後悔しても及びません」と諫めた。耿鄙は従わなかった。軍が狄道へ至ると、果たして反乱する者が現れ、まず程球を殺し、次に耿鄙を殺害した。反乱軍はそのまま進んで漢陽を包囲した。

太守李相如反,與遂連和,共殺涼州刺史耿鄙。而鄙司馬扶風馬騰,亦擁兵反叛,又漢陽王國,自號「合眾將軍」,皆與韓遂合。共推王國為主,悉令領其眾,寇掠三輔。
日本語対訳

隴西太守の李相如は反乱して韓遂と結び、涼州刺史の耿鄙を殺した。耿鄙の司馬だった馬騰も兵を擁して反乱し、合衆将軍を称する漢陽の王国とともに韓遂へ合流した。諸軍は王国を盟主に推し、三輔を侵した。

靈帝末,涼州刺史耿鄙任信姦吏,民王國等及氐、羌反叛。州郡募發民中有勇力者,欲討之,騰在募中。州郡異之,署為軍從事,典領部眾。討賊有功,拜軍司馬,後以功遷偏將軍,又遷征西將軍,常屯汧、隴之間。
日本語対訳

霊帝の末年、涼州刺史の耿鄙が悪吏を任用して信任したため、民の王国らと氐・羌が反乱した。州郡はこれを討つため、民の中から勇力のある者を募り出し、馬騰もその募兵の中にいた。州郡は馬騰を並外れた人物と見て軍従事に任じ、部隊の指揮を担当させた。馬騰は賊を討って功績を挙げ、軍司馬に任じられ、のちに功績によって偏将軍、さらに征西将軍へ昇進し、常に汧・隴の間へ駐屯した。