184年 - 189年

涼州の乱

周慎しゅうしん

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榆中追撃軍指揮官

後漢涼州討伐・地方軍

蕩寇将軍として三万で榆中を追撃した。孫堅の策を退け、補給路を断たれて輜重を捨て退いた。

周慎に関連する出来事一覧

原文

朝廷復以司空張溫為車騎將軍,假節,執金吾袁滂為副。拜卓破虜將軍,與蕩寇將軍周慎並統於溫。并諸郡兵步騎合十餘萬,屯美陽,以衛園陵。章、遂亦進兵美陽。溫、卓與戰,輒不利。
日本語対訳

朝廷は再び司空の張温を車騎将軍・仮節とし、執金吾の袁滂を副将に置いた。董卓を破虜将軍に任じ、蕩寇将軍の周慎とともに張温の指揮下へ入れた。諸郡の歩兵・騎兵を合わせた十余万を美陽に駐屯させ、園陵を守らせた。辺章・韓遂も美陽へ進軍した。張温・董卓は両者と戦ったが、そのたびに不利となった。

溫乃遣周慎將三萬人追討之。溫參軍事孫堅說慎曰:「賊城中無穀,當外轉糧食。堅願得萬人斷其運道,將軍以大兵繼後,賊必困乏而不敢戰。若走入羌中,并力討之,則涼州可定也。」慎不從,引軍圍榆中城。而章、遂分屯葵園狹,反斷慎運道。慎懼,乃弃車重而退。
日本語対訳

張温は周慎に三万人を率いさせ、辺章・韓遂を追討させた。張温の参軍事である孫堅は周慎に、「敵の城内には穀物がなく、外から食糧を運び込むはずです。私に一万人を与えてその輸送路を断たせ、将軍は大軍を率いて後に続いてください。敵は必ず困窮して戦えなくなります。もし羌の地へ逃げ込めば、力を合わせて討てば涼州を平定できます」と説いた。周慎は従わず、軍を率いて榆中城を包囲した。すると辺章・韓遂は葵園狭へ分かれて駐屯し、逆に周慎の補給路を断った。周慎は恐れ、車両や輜重を捨てて退却した。