原文
太守李相如反,與遂連和,共殺涼州刺史耿鄙。而鄙司馬扶風馬騰,亦擁兵反叛,又漢陽王國,自號「合眾將軍」,皆與韓遂合。共推王國為主,悉令領其眾,寇掠三輔。
五年,涼州賊王國圍陳倉,復拜嵩為左將軍,督前將軍董卓,各率二萬人拒之。卓欲速進赴陳倉,嵩不聽。嵩曰:「今陳倉雖小,城守固備。國今已陷受害之地,而陳倉保不拔之城,我可不煩兵動眾,而取全勝之功,將何救焉!」王國圍陳倉,自冬迄春,八十餘日,城堅守固,竟不能拔。賊眾疲敝,果自解去。
中平五年、涼州の賊である王国が陳倉を包囲したため、朝廷は再び皇甫嵩を左将軍に任じ、前将軍の董卓を監督させ、それぞれ二万人を率いて王国を防がせた。董卓は急いで陳倉へ進もうとしたが、皇甫嵩は従わなかった。皇甫嵩は「いま陳倉は小さいとはいえ、城の守りは堅固に整っています。王国軍は攻め手が損害を受ける状況に陥り、一方の陳倉は攻め落とせないほど堅く守られています。我々は兵や人々を煩わせずに完全な勝利を得られるのに、どうして救援へ急ぐ必要があるでしょうか」と言った。王国は冬から春まで八十余日にわたって陳倉を包囲したが、城は堅く守りも固かったため、ついに陥落させられなかった。反乱軍は疲弊し、果たして自ら包囲を解いて去った。
嵩進兵擊之。卓曰:「不可。兵法,窮寇勿迫,歸眾勿追。今我追國,是迫歸眾,追窮寇也。」嵩曰:「前吾不擊,避其銳也。今而擊之,待其衰也。所擊疲師,非歸眾也。國眾且走,莫有鬭志。以整擊亂,非窮寇也。」遂獨進擊之,使卓為後拒。連戰大破之,斬首萬餘級,國走而死。卓大慙恨,由是忌嵩。
皇甫嵩は兵を進めて王国軍を攻撃しようとした。董卓は「いけません。兵法には、追い詰められた敵を迫ってはならず、帰ろうとする軍勢を追ってはならないとあります。いま我々が王国を追えば、帰ろうとする軍勢に迫り、追い詰められた敵を追うことになります」と言った。皇甫嵩は「先に私が攻撃しなかったのは、その鋭気を避けたからだ。いま攻撃するのは、その衰えを待ったからである。攻撃する相手は疲れた軍であって、帰ろうとする軍勢ではない。王国の軍勢はいま逃げようとしており、戦う意志を持つ者はいない。整った軍で乱れた軍を攻めるのであって、追い詰められた敵を攻めるのではない」と答えた。皇甫嵩はついに単独で進撃し、董卓を後衛に置いた。連戦して王国軍を大破し、一万余の首を斬った。王国は逃走して死んだ。董卓は大いに恥じて恨み、これ以後、皇甫嵩を忌み嫌った。
韓遂等復共廢王國,而劫故信都令漢陽閻忠,使督統諸部。《英雄記》曰:「王國等起兵,劫忠為主,統三十六部,號『車騎將軍』。」忠恥為眾所脅,感恚病死。遂等稍爭權利,更相殺害,其諸部曲並各分乖。
伯玉等乃劫致金城人邊章、韓遂,使專任軍政,共殺金城太守陳懿,攻燒州郡。《獻帝春秋》曰:「涼州義從宋建、王國等反。詐金城郡降,求見涼州大人故新安令邊允、從事韓約。約不見,太守陳懿勸之使往,國等便劫質約等數十人。金城亂,懿出,國等扶以到護羌營,殺之,而釋約、允等。隴西以愛憎露布,冠約、允名以為賊,州購約、允各千戶侯。約、允被購,『約』改為『遂』,『允』改為『章』。」
北宮伯玉らは金城の人である辺章・韓遂を脅して連行し、もっぱら軍政を担当させ、ともに金城太守の陳懿を殺して州郡を攻め焼いた。『献帝春秋』によれば、涼州義従の宋建・王国らが反乱し、金城郡へ偽って降伏して、涼州の有力者で元新安県令の辺允と従事の韓約に会いたいと求めた。韓約は会おうとしなかったが、太守の陳懿に勧められて出向くと、王国らは韓約ら数十人を捕らえて人質にした。金城が乱れると陳懿が出てきたので、王国らは陳懿を護羌校尉の営へ連行して殺し、韓約・辺允らを解放した。隴西では私的な愛憎から出された露布が韓約・辺允の名を賊の首領として掲げ、涼州は二人を捕らえた者へそれぞれ千戸侯を与えると懸賞した。懸賞の対象となったため、韓約は名を韓遂に、辺允は辺章に改めた。
時刺史耿鄙委任治中程球,球為通姦利,士人怨之。中平四年,鄙率六郡兵討金城賊王國、韓遂等。燮知鄙失眾,必敗,諫曰:「今率不習之人,越大隴之阻,將十舉十危。萬一內變,雖悔無及。」鄙不從。行至狄道,果有反者,先殺程球,次害鄙,賊遂進圍漢陽。
賊遂進圍漢陽。城中兵少糧盡,燮猶固守。時北地胡騎數千隨賊攻郡,皆夙懷燮恩,共於城外叩頭,求送燮歸鄉里。子干年十三,從在官舍,知燮性剛,有高義,恐不能屈志以免,進諫。燮曰:「食祿又欲避其難乎?吾行何之,必死於此。汝有才智,勉之勉之。主簿楊會,吾之程嬰也。」王國使故酒泉太守黃衍說燮曰:「府君寧有意為吾屬師乎?」燮按劍叱衍曰:「若剖符之臣,反為賊說邪!」遂麾左右進兵,臨陣戰歿。
反乱軍はそのまま進んで漢陽を包囲した。城内は兵が少なく食糧も尽きたが、傅燮はなお固く守った。このとき北地の胡騎数千が反乱軍に従って郡城を攻めていたが、みな以前から傅燮の恩を受けていたため、城外でそろって叩頭し、傅燮を郷里へ送り帰したいと願った。十三歳の子の傅幹も官舎に付き従っており、父の性質が剛直で高い義を持つため、志を曲げて難を免れることはできないだろうと考えて諫めた。傅燮は「禄を受けながら、その難を避けようというのか。私はどこへ行くというのだ。必ずここで死ぬ。お前には才知がある。しっかり励め、励め。主簿の楊会は、私にとっての程嬰である」と答えた。王国は元酒泉太守の黄衍を使者として傅燮を説得させ、「府君には、私どもの軍の師となるお考えはありませんか」と言わせた。傅燮は剣に手をかけて黄衍を叱り、「お前は割符を受けた朝廷の臣でありながら、反対に賊のために説得するのか」と言った。そして左右の兵を指揮して進撃し、陣中で戦死した。
靈帝末,涼州刺史耿鄙任信姦吏,民王國等及氐、羌反叛。州郡募發民中有勇力者,欲討之,騰在募中。州郡異之,署為軍從事,典領部眾。討賊有功,拜軍司馬,後以功遷偏將軍,又遷征西將軍,常屯汧、隴之間。