184年 - 189年

涼州の乱

韓遂文約かんすい

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涼州反乱軍の首領

涼州反乱軍

人質から反乱軍の軍政担当となり、辺章らを排して十余万を率いた。王国を盟主に推したのち廃し、涼州諸部の分裂後も勢力を保った。

韓遂に関連する出来事一覧

原文

伯玉等乃劫致金城人邊章、韓遂,使專任軍政,共殺金城太守陳懿,攻燒州郡。《獻帝春秋》曰:「涼州義從宋建、王國等反。詐金城郡降,求見涼州大人故新安令邊允、從事韓約。約不見,太守陳懿勸之使往,國等便劫質約等數十人。金城亂,懿出,國等扶以到護羌營,殺之,而釋約、允等。隴西以愛憎露布,冠約、允名以為賊,州購約、允各千戶侯。約、允被購,『約』改為『遂』,『允』改為『章』。」
日本語対訳

北宮伯玉らは金城の人である辺章・韓遂を脅して連行し、もっぱら軍政を担当させ、ともに金城太守の陳懿を殺して州郡を攻め焼いた。『献帝春秋』によれば、涼州義従の宋建・王国らが反乱し、金城郡へ偽って降伏して、涼州の有力者で元新安県令の辺允と従事の韓約に会いたいと求めた。韓約は会おうとしなかったが、太守の陳懿に勧められて出向くと、王国らは韓約ら数十人を捕らえて人質にした。金城が乱れると陳懿が出てきたので、王国らは陳懿を護羌校尉の営へ連行して殺し、韓約・辺允らを解放した。隴西では私的な愛憎から出された露布が韓約・辺允の名を賊の首領として掲げ、涼州は二人を捕らえた者へそれぞれ千戸侯を与えると懸賞した。懸賞の対象となったため、韓約は名を韓遂に、辺允は辺章に改めた。

三年春,遣使者持節就長安拜張溫為太尉。其冬,徵溫還京師,韓遂乃殺邊章及伯玉、文侯,擁兵十餘萬,進圍隴西。
日本語対訳

中平三年の春、朝廷は使者に節を持たせて長安へ赴かせ、張温を太尉に任じた。その年の冬、張温は都へ呼び戻された。その後、韓遂は辺章・北宮伯玉・李文侯を殺し、十余万の兵を擁して進み、隴西を包囲した。

韓遂等復共廢王國,而劫故信都令漢陽閻忠,使督統諸部。《英雄記》曰:「王國等起兵,劫忠為主,統三十六部,號『車騎將軍』。」忠恥為眾所脅,感恚病死。遂等稍爭權利,更相殺害,其諸部曲並各分乖。
日本語対訳

韓遂らは再び共同で王国を廃し、元信都県令で漢陽の人である閻忠を脅して、諸部を監督・統率させた。『英雄記』によれば、王国らは兵を挙げると閻忠を脅して盟主とし、三十六部を統率させて車騎将軍と号させた。閻忠は人々に脅されたことを恥じ、憤りのため病死した。韓遂らはしだいに権力と利益を争って互いに殺害し、その配下の諸部もそれぞれ離反して分裂した。

明年春,將數萬騎入寇三輔,侵逼園陵,託誅宦官為名。詔以卓為中郎將,副左車騎將軍皇甫嵩征之。嵩以無功免歸,而邊章、韓遂等大盛。
日本語対訳

翌春、反乱軍は数万騎で三輔へ入り、園陵へ迫って宦官誅殺を名目に掲げた。董卓は中郎将として左車騎将軍の皇甫嵩を補佐したが、皇甫嵩は戦功がないとして罷免され、辺章・韓遂らの勢力は大いに盛んになった。

朝廷復以司空張溫為車騎將軍,假節,執金吾袁滂為副。拜卓破虜將軍,與蕩寇將軍周慎並統於溫。并諸郡兵步騎合十餘萬,屯美陽,以衛園陵。章、遂亦進兵美陽。溫、卓與戰,輒不利。
日本語対訳

朝廷は再び司空の張温を車騎将軍・仮節とし、執金吾の袁滂を副将に置いた。董卓を破虜将軍に任じ、蕩寇将軍の周慎とともに張温の指揮下へ入れた。諸郡の歩兵・騎兵を合わせた十余万を美陽に駐屯させ、園陵を守らせた。辺章・韓遂も美陽へ進軍した。張温・董卓は両者と戦ったが、そのたびに不利となった。

邊章、韓遂作亂涼州,中郎將董卓拒討無功。中平三年,遣司空張溫行車騎將軍,西討章等。溫表請堅與參軍事,屯長安。溫以詔書召卓,卓良久乃詣溫。溫責讓卓,卓應對不順。堅時在坐,前耳語謂溫曰:「卓不怖罪而鴟張大語,宜以召不時至,陳軍法斬之。」溫不忍發舉。
日本語対訳

辺章・韓遂が涼州で乱を起こし、中郎将の董卓は防戦・討伐しても功績を挙げられなかった。中平三年、朝廷は司空の張温に車騎将軍を代行させ、辺章らを西方で討たせた。張温は上表して孫堅を参軍事に招き、長安へ駐屯した。張温が詔書によって董卓を召したところ、董卓は長い時間がたってから張温のもとへ来た。張温が董卓を責めても、董卓の応対は従順でなかった。その場にいた孫堅は進み出て張温へ耳打ちし、「董卓は罪を恐れず、威張って大言を吐いています。召しに遅れたことを理由に軍法を明らかにして斬るべきです」と述べたが、張温は処断に踏み切れなかった。

十一月,夜有流星如火,光長十餘丈,照章、遂營中,驢馬盡鳴。賊以為不祥,欲歸金城。卓聞之喜,明日,乃與右扶風鮑鴻等并兵俱攻,大破之,斬首數千級。章、遂敗走榆中。
日本語対訳

十一月の夜、火のような流星が現れ、その光は長さ十余丈に及んで辺章・韓遂の陣営を照らし、驢馬がみな鳴いた。反乱軍はこれを不吉と考え、金城へ帰ろうとした。董卓はそれを聞いて喜び、翌日、右扶風の鮑鴻らと兵を合わせて攻撃し、大いに破って数千の首を斬った。辺章・韓遂は敗れて榆中へ逃れた。

溫乃遣周慎將三萬人追討之。溫參軍事孫堅說慎曰:「賊城中無穀,當外轉糧食。堅願得萬人斷其運道,將軍以大兵繼後,賊必困乏而不敢戰。若走入羌中,并力討之,則涼州可定也。」慎不從,引軍圍榆中城。而章、遂分屯葵園狹,反斷慎運道。慎懼,乃弃車重而退。
日本語対訳

張温は周慎に三万人を率いさせ、辺章・韓遂を追討させた。張温の参軍事である孫堅は周慎に、「敵の城内には穀物がなく、外から食糧を運び込むはずです。私に一万人を与えてその輸送路を断たせ、将軍は大軍を率いて後に続いてください。敵は必ず困窮して戦えなくなります。もし羌の地へ逃げ込めば、力を合わせて討てば涼州を平定できます」と説いた。周慎は従わず、軍を率いて榆中城を包囲した。すると辺章・韓遂は葵園狭へ分かれて駐屯し、逆に周慎の補給路を断った。周慎は恐れ、車両や輜重を捨てて退却した。

時刺史耿鄙委任治中程球,球為通姦利,士人怨之。中平四年,鄙率六郡兵討金城賊王國、韓遂等。燮知鄙失眾,必敗,諫曰:「今率不習之人,越大隴之阻,將十舉十危。萬一內變,雖悔無及。」鄙不從。行至狄道,果有反者,先殺程球,次害鄙,賊遂進圍漢陽。
日本語対訳

当時、涼州刺史の耿鄙は治中の程球へ政治を委ねて信任していたが、程球は悪事を通じて利益をむさぼり、士人はこれを怨んでいた。中平四年、耿鄙は六郡の兵を率いて金城の賊である王国・韓遂らを討とうとした。傅燮は耿鄙が人心を失っており必ず敗れると知り、「いま訓練されていない人々を率い、大隴の険阻を越えるなら、十たび行えば十たび危ういでしょう。万一、内部で変事が起これば、後悔しても及びません」と諫めた。耿鄙は従わなかった。軍が狄道へ至ると、果たして反乱する者が現れ、まず程球を殺し、次に耿鄙を殺害した。反乱軍はそのまま進んで漢陽を包囲した。

太守李相如反,與遂連和,共殺涼州刺史耿鄙。而鄙司馬扶風馬騰,亦擁兵反叛,又漢陽王國,自號「合眾將軍」,皆與韓遂合。共推王國為主,悉令領其眾,寇掠三輔。
日本語対訳

隴西太守の李相如は反乱して韓遂と結び、涼州刺史の耿鄙を殺した。耿鄙の司馬だった馬騰も兵を擁して反乱し、合衆将軍を称する漢陽の王国とともに韓遂へ合流した。諸軍は王国を盟主に推し、三輔を侵した。