原文
十一月,夜有流星如火,光長十餘丈,照章、遂營中,驢馬盡鳴。賊以為不祥,欲歸金城。卓聞之喜,明日,乃與右扶風鮑鴻等并兵俱攻,大破之,斬首數千級。章、遂敗走榆中。
溫時亦使卓將兵三萬討先零羌,卓於望垣北為羌胡所圍,糧食乏絕,進退逼急。乃於所度水中偽立堰,以為捕魚,而潛從堰下過軍。比賊追之,決水已深,不得度。時眾軍敗退,唯卓全師而還,屯於扶風,封斄鄉侯,邑千戶。
嵩進兵擊之。卓曰:「不可。兵法,窮寇勿迫,歸眾勿追。今我追國,是迫歸眾,追窮寇也。」嵩曰:「前吾不擊,避其銳也。今而擊之,待其衰也。所擊疲師,非歸眾也。國眾且走,莫有鬭志。以整擊亂,非窮寇也。」遂獨進擊之,使卓為後拒。連戰大破之,斬首萬餘級,國走而死。卓大慙恨,由是忌嵩。
日本語対訳
皇甫嵩は兵を進めて王国軍を攻撃しようとした。董卓は「いけません。兵法には、追い詰められた敵を迫ってはならず、帰ろうとする軍勢を追ってはならないとあります。いま我々が王国を追えば、帰ろうとする軍勢に迫り、追い詰められた敵を追うことになります」と言った。皇甫嵩は「先に私が攻撃しなかったのは、その鋭気を避けたからだ。いま攻撃するのは、その衰えを待ったからである。攻撃する相手は疲れた軍であって、帰ろうとする軍勢ではない。王国の軍勢はいま逃げようとしており、戦う意志を持つ者はいない。整った軍で乱れた軍を攻めるのであって、追い詰められた敵を攻めるのではない」と答えた。皇甫嵩はついに単独で進撃し、董卓を後衛に置いた。連戦して王国軍を大破し、一万余の首を斬った。王国は逃走して死んだ。董卓は大いに恥じて恨み、これ以後、皇甫嵩を忌み嫌った。
明年春,將數萬騎入寇三輔,侵逼園陵,託誅宦官為名。詔以卓為中郎將,副左車騎將軍皇甫嵩征之。嵩以無功免歸,而邊章、韓遂等大盛。
朝廷復以司空張溫為車騎將軍,假節,執金吾袁滂為副。拜卓破虜將軍,與蕩寇將軍周慎並統於溫。并諸郡兵步騎合十餘萬,屯美陽,以衛園陵。章、遂亦進兵美陽。溫、卓與戰,輒不利。
邊章、韓遂作亂涼州,中郎將董卓拒討無功。中平三年,遣司空張溫行車騎將軍,西討章等。溫表請堅與參軍事,屯長安。溫以詔書召卓,卓良久乃詣溫。溫責讓卓,卓應對不順。堅時在坐,前耳語謂溫曰:「卓不怖罪而鴟張大語,宜以召不時至,陳軍法斬之。」溫不忍發舉。
五年,涼州賊王國圍陳倉,復拜嵩為左將軍,督前將軍董卓,各率二萬人拒之。卓欲速進赴陳倉,嵩不聽。嵩曰:「今陳倉雖小,城守固備。國今已陷受害之地,而陳倉保不拔之城,我可不煩兵動眾,而取全勝之功,將何救焉!」王國圍陳倉,自冬迄春,八十餘日,城堅守固,竟不能拔。賊眾疲敝,果自解去。
日本語対訳
中平五年、涼州の賊である王国が陳倉を包囲したため、朝廷は再び皇甫嵩を左将軍に任じ、前将軍の董卓を監督させ、それぞれ二万人を率いて王国を防がせた。董卓は急いで陳倉へ進もうとしたが、皇甫嵩は従わなかった。皇甫嵩は「いま陳倉は小さいとはいえ、城の守りは堅固に整っています。王国軍は攻め手が損害を受ける状況に陥り、一方の陳倉は攻め落とせないほど堅く守られています。我々は兵や人々を煩わせずに完全な勝利を得られるのに、どうして救援へ急ぐ必要があるでしょうか」と言った。王国は冬から春まで八十余日にわたって陳倉を包囲したが、城は堅く守りも固かったため、ついに陥落させられなかった。反乱軍は疲弊し、果たして自ら包囲を解いて去った。
裴注之引用書・霊帝紀巻六 董卓伝・董卓伝・裴注引『霊帝紀』少府転任拒否
中平五年,徵卓為少府,勑以營吏士屬左將軍皇甫嵩,詣行在所。卓上言:「涼州擾亂,鯨鯢未滅,此臣奮發效命之秋。吏士踊躍,戀恩念報,各遮臣車,辭聲懇惻,未得即路也。輒且行前將軍事,盡心慰卹,效力行陣。」
裴注之引用書・霊帝紀巻六 董卓伝・董卓伝・裴注引『霊帝紀』并州牧転任拒否
六年,以卓為并州牧,又勑以吏兵屬皇甫嵩。卓復上言:「臣掌戎十年,士卒大小相狎彌久,戀臣畜養之恩,樂為國家奮一旦之命,乞將之州,效力邊陲。」卓再違詔勑,會為何進所召。