184年 - 189年

涼州の乱

董卓仲穎とうたく

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美陽・望垣・陳倉方面の後漢討伐軍指揮官

後漢涼州討伐・地方軍

皇甫嵩と張温の軍で戦い、美陽で反撃し、望垣では全軍を保って脱出した。陳倉では皇甫嵩の待機・追撃策に反対した。

董卓に関連する出来事一覧

原文

十一月,夜有流星如火,光長十餘丈,照章、遂營中,驢馬盡鳴。賊以為不祥,欲歸金城。卓聞之喜,明日,乃與右扶風鮑鴻等并兵俱攻,大破之,斬首數千級。章、遂敗走榆中。
日本語対訳

十一月の夜、火のような流星が現れ、その光は長さ十余丈に及んで辺章・韓遂の陣営を照らし、驢馬がみな鳴いた。反乱軍はこれを不吉と考え、金城へ帰ろうとした。董卓はそれを聞いて喜び、翌日、右扶風の鮑鴻らと兵を合わせて攻撃し、大いに破って数千の首を斬った。辺章・韓遂は敗れて榆中へ逃れた。

溫時亦使卓將兵三萬討先零羌,卓於望垣北為羌胡所圍,糧食乏絕,進退逼急。乃於所度水中偽立堰,以為捕魚,而潛從堰下過軍。比賊追之,決水已深,不得度。時眾軍敗退,唯卓全師而還,屯於扶風,封斄鄉侯,邑千戶。
日本語対訳

張温はこのとき董卓にも三万人を率いさせ、先零羌を討たせた。董卓は望垣の北で羌胡に包囲され、食糧が欠乏して進退ともに窮迫した。そこで渡河地点の川中に偽って堰を築き、魚を捕るように見せかけながら、ひそかに堰の下から軍を渡した。敵が追いついたころには堰を切った水がすでに深くなり、渡ることができなかった。このとき諸軍は敗れて退いたが、董卓だけが全軍を保って帰還し、扶風に駐屯した。董卓は斄郷侯に封じられ、食邑千戸を与えられた。

嵩進兵擊之。卓曰:「不可。兵法,窮寇勿迫,歸眾勿追。今我追國,是迫歸眾,追窮寇也。」嵩曰:「前吾不擊,避其銳也。今而擊之,待其衰也。所擊疲師,非歸眾也。國眾且走,莫有鬭志。以整擊亂,非窮寇也。」遂獨進擊之,使卓為後拒。連戰大破之,斬首萬餘級,國走而死。卓大慙恨,由是忌嵩。
日本語対訳

皇甫嵩は兵を進めて王国軍を攻撃しようとした。董卓は「いけません。兵法には、追い詰められた敵を迫ってはならず、帰ろうとする軍勢を追ってはならないとあります。いま我々が王国を追えば、帰ろうとする軍勢に迫り、追い詰められた敵を追うことになります」と言った。皇甫嵩は「先に私が攻撃しなかったのは、その鋭気を避けたからだ。いま攻撃するのは、その衰えを待ったからである。攻撃する相手は疲れた軍であって、帰ろうとする軍勢ではない。王国の軍勢はいま逃げようとしており、戦う意志を持つ者はいない。整った軍で乱れた軍を攻めるのであって、追い詰められた敵を攻めるのではない」と答えた。皇甫嵩はついに単独で進撃し、董卓を後衛に置いた。連戦して王国軍を大破し、一万余の首を斬った。王国は逃走して死んだ。董卓は大いに恥じて恨み、これ以後、皇甫嵩を忌み嫌った。

明年春,將數萬騎入寇三輔,侵逼園陵,託誅宦官為名。詔以卓為中郎將,副左車騎將軍皇甫嵩征之。嵩以無功免歸,而邊章、韓遂等大盛。
日本語対訳

翌春、反乱軍は数万騎で三輔へ入り、園陵へ迫って宦官誅殺を名目に掲げた。董卓は中郎将として左車騎将軍の皇甫嵩を補佐したが、皇甫嵩は戦功がないとして罷免され、辺章・韓遂らの勢力は大いに盛んになった。

朝廷復以司空張溫為車騎將軍,假節,執金吾袁滂為副。拜卓破虜將軍,與蕩寇將軍周慎並統於溫。并諸郡兵步騎合十餘萬,屯美陽,以衛園陵。章、遂亦進兵美陽。溫、卓與戰,輒不利。
日本語対訳

朝廷は再び司空の張温を車騎将軍・仮節とし、執金吾の袁滂を副将に置いた。董卓を破虜将軍に任じ、蕩寇将軍の周慎とともに張温の指揮下へ入れた。諸郡の歩兵・騎兵を合わせた十余万を美陽に駐屯させ、園陵を守らせた。辺章・韓遂も美陽へ進軍した。張温・董卓は両者と戦ったが、そのたびに不利となった。

邊章、韓遂作亂涼州,中郎將董卓拒討無功。中平三年,遣司空張溫行車騎將軍,西討章等。溫表請堅與參軍事,屯長安。溫以詔書召卓,卓良久乃詣溫。溫責讓卓,卓應對不順。堅時在坐,前耳語謂溫曰:「卓不怖罪而鴟張大語,宜以召不時至,陳軍法斬之。」溫不忍發舉。
日本語対訳

辺章・韓遂が涼州で乱を起こし、中郎将の董卓は防戦・討伐しても功績を挙げられなかった。中平三年、朝廷は司空の張温に車騎将軍を代行させ、辺章らを西方で討たせた。張温は上表して孫堅を参軍事に招き、長安へ駐屯した。張温が詔書によって董卓を召したところ、董卓は長い時間がたってから張温のもとへ来た。張温が董卓を責めても、董卓の応対は従順でなかった。その場にいた孫堅は進み出て張温へ耳打ちし、「董卓は罪を恐れず、威張って大言を吐いています。召しに遅れたことを理由に軍法を明らかにして斬るべきです」と述べたが、張温は処断に踏み切れなかった。

五年,涼州賊王國圍陳倉,復拜嵩為左將軍,督前將軍董卓,各率二萬人拒之。卓欲速進赴陳倉,嵩不聽。嵩曰:「今陳倉雖小,城守固備。國今已陷受害之地,而陳倉保不拔之城,我可不煩兵動眾,而取全勝之功,將何救焉!」王國圍陳倉,自冬迄春,八十餘日,城堅守固,竟不能拔。賊眾疲敝,果自解去。
日本語対訳

中平五年、涼州の賊である王国が陳倉を包囲したため、朝廷は再び皇甫嵩を左将軍に任じ、前将軍の董卓を監督させ、それぞれ二万人を率いて王国を防がせた。董卓は急いで陳倉へ進もうとしたが、皇甫嵩は従わなかった。皇甫嵩は「いま陳倉は小さいとはいえ、城の守りは堅固に整っています。王国軍は攻め手が損害を受ける状況に陥り、一方の陳倉は攻め落とせないほど堅く守られています。我々は兵や人々を煩わせずに完全な勝利を得られるのに、どうして救援へ急ぐ必要があるでしょうか」と言った。王国は冬から春まで八十余日にわたって陳倉を包囲したが、城は堅く守りも固かったため、ついに陥落させられなかった。反乱軍は疲弊し、果たして自ら包囲を解いて去った。

中平五年,徵卓為少府,勑以營吏士屬左將軍皇甫嵩,詣行在所。卓上言:「涼州擾亂,鯨鯢未滅,此臣奮發效命之秋。吏士踊躍,戀恩念報,各遮臣車,辭聲懇惻,未得即路也。輒且行前將軍事,盡心慰卹,效力行陣。」
日本語対訳

中平五年、朝廷は董卓を少府に任じ、配下の吏士を左将軍の皇甫嵩へ所属させて行在所へ向かうよう命じた。董卓は、涼州の反乱勢力がまだ滅んでおらず、兵士たちは恩に報いようとして自分の車を遮り、別れを惜しんでいるため出発できないと上奏し、前将軍の職務を続けた。

六年,以卓為并州牧,又勑以吏兵屬皇甫嵩。卓復上言:「臣掌戎十年,士卒大小相狎彌久,戀臣畜養之恩,樂為國家奮一旦之命,乞將之州,效力邊陲。」卓再違詔勑,會為何進所召。
日本語対訳

中平六年、朝廷は董卓を并州牧とし、配下の吏士を皇甫嵩へ渡すよう再び命じた。董卓は、十年にわたり兵を率いて互いに親しみ、兵士は自分の養育の恩を慕っているとして、彼らを并州へ連れて国境で働かせたいと上奏した。董卓は二度にわたり詔命へ従わず、そのまま何進に召された。