涼州反乱軍
原文
伯玉等乃劫致金城人邊章、韓遂,使專任軍政,共殺金城太守陳懿,攻燒州郡。《獻帝春秋》曰:「涼州義從宋建、王國等反。詐金城郡降,求見涼州大人故新安令邊允、從事韓約。約不見,太守陳懿勸之使往,國等便劫質約等數十人。金城亂,懿出,國等扶以到護羌營,殺之,而釋約、允等。隴西以愛憎露布,冠約、允名以為賊,州購約、允各千戶侯。約、允被購,『約』改為『遂』,『允』改為『章』。」
北宮伯玉らは金城の人である辺章・韓遂を脅して連行し、もっぱら軍政を担当させ、ともに金城太守の陳懿を殺して州郡を攻め焼いた。『献帝春秋』によれば、涼州義従の宋建・王国らが反乱し、金城郡へ偽って降伏して、涼州の有力者で元新安県令の辺允と従事の韓約に会いたいと求めた。韓約は会おうとしなかったが、太守の陳懿に勧められて出向くと、王国らは韓約ら数十人を捕らえて人質にした。金城が乱れると陳懿が出てきたので、王国らは陳懿を護羌校尉の営へ連行して殺し、韓約・辺允らを解放した。隴西では私的な愛憎から出された露布が韓約・辺允の名を賊の首領として掲げ、涼州は二人を捕らえた者へそれぞれ千戸侯を与えると懸賞した。懸賞の対象となったため、韓約は名を韓遂に、辺允は辺章に改めた。
溫乃遣周慎將三萬人追討之。溫參軍事孫堅說慎曰:「賊城中無穀,當外轉糧食。堅願得萬人斷其運道,將軍以大兵繼後,賊必困乏而不敢戰。若走入羌中,并力討之,則涼州可定也。」慎不從,引軍圍榆中城。而章、遂分屯葵園狹,反斷慎運道。慎懼,乃弃車重而退。
三年春,遣使者持節就長安拜張溫為太尉。其冬,徵溫還京師,韓遂乃殺邊章及伯玉、文侯,擁兵十餘萬,進圍隴西。
中平元年,北地羌胡與邊章等寇亂隴右,刺史左昌因軍興斷盜數千萬。勳固諫,昌怒,乃使勳別屯阿陽以拒賊鋒,欲因軍事罪之,而勳數有戰功。邊章等遂攻金城,殺郡守陳懿,勳勸昌救之,不從。邊章等進圍昌於冀,昌懼而召勳。勳初與從事辛曾、孔常俱屯阿陽,及昌檄到,曾等疑不肯赴。勳怒曰:「昔莊賈後期,穰苴奮鉞。今之從事,豈重於古之監軍哉!」曾等懼而從之。勳即率兵救昌。到,乃誚讓章等,責以背叛之罪。皆曰:「左使君若早從君言,以兵臨我,庶可自改。今罪已重,不得降也。」乃解圍而去。
中平元年、北地の羌胡と辺章らが隴右を侵して乱を起こすと、涼州刺史の左昌は軍事動員に乗じて数千万を横領した。蓋勲が強く諫めると左昌は怒り、蓋勲を阿陽へ別駐させて敵の先鋒を防がせ、軍事上の失敗にかこつけて罪に陥れようとしたが、蓋勲はたびたび戦功を立てた。辺章らが金城を攻めて太守の陳懿を殺すと、蓋勲は左昌に救援を勧めたが、左昌は従わなかった。辺章らが進んで冀城の左昌を包囲すると、左昌は恐れて蓋勲を呼び戻した。蓋勲は当初、従事の辛曾・孔常と阿陽に駐屯していたが、左昌の檄文が届いても二人はためらって赴こうとしなかった。蓋勲は怒り、「昔、荘賈が期限に遅れると、司馬穰苴は斧鉞を振るって処刑した。今の従事は、古の監軍より重い身分だというのか」と言った。辛曾らは恐れて従い、蓋勲はただちに兵を率いて左昌を救援した。到着すると辺章らを叱責し、背いた罪を問いただした。辺章らは「左使君が早くあなたの言葉に従い、兵を率いて我々に臨んでいれば、あるいは改めることもできたでしょう。いまや罪はすでに重く、降伏できません」と答え、包囲を解いて去った。
明年春,將數萬騎入寇三輔,侵逼園陵,託誅宦官為名。詔以卓為中郎將,副左車騎將軍皇甫嵩征之。嵩以無功免歸,而邊章、韓遂等大盛。
朝廷復以司空張溫為車騎將軍,假節,執金吾袁滂為副。拜卓破虜將軍,與蕩寇將軍周慎並統於溫。并諸郡兵步騎合十餘萬,屯美陽,以衛園陵。章、遂亦進兵美陽。溫、卓與戰,輒不利。
邊章、韓遂作亂涼州,中郎將董卓拒討無功。中平三年,遣司空張溫行車騎將軍,西討章等。溫表請堅與參軍事,屯長安。溫以詔書召卓,卓良久乃詣溫。溫責讓卓,卓應對不順。堅時在坐,前耳語謂溫曰:「卓不怖罪而鴟張大語,宜以召不時至,陳軍法斬之。」溫不忍發舉。
十一月,夜有流星如火,光長十餘丈,照章、遂營中,驢馬盡鳴。賊以為不祥,欲歸金城。卓聞之喜,明日,乃與右扶風鮑鴻等并兵俱攻,大破之,斬首數千級。章、遂敗走榆中。