出来事の詳細 201年 - 207年

曹操の河北平定

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袁氏の後継争いへ介入した曹操が河北諸州と烏丸を制圧し、袁氏政権を終わらせた

この出来事の要点

人物一覧

展開

  1. 01

    倉亭敗北と袁紹の再編

    曹操は黄河沿いで袁紹の倉亭軍を破った。袁紹は敗残兵を集め直し、官渡敗戦後に離反した郡県を再び平定した。

  2. 02

    袁紹の死と袁尚継承

    袁紹は官渡敗戦後の病が悪化して死去した。審配・逢紀らは末子の袁尚を後継者に立て、長男の袁譚は自ら車騎将軍を名乗った。

  3. 03

    黎陽の攻防

    袁譚と袁尚はいったん共同して黎陽で曹操軍を迎えたが、長期の戦いに敗れ、鄴へ退いた。曹操は追撃して陰安を攻略した後、許へ戻った。

  4. 04

    郭嘉の離間待機策

    郭嘉は袁譚と袁尚を追い詰めれば協力するが、圧力を緩めれば後継争いを始めると見抜いた。曹操は南へ軍を向け、袁氏兄弟の分裂を待った。

  5. 05

    袁氏兄弟の内紛と曹操介入

    曹操が離れると袁譚と袁尚は冀州で争った。平原で袁尚軍に攻められた袁譚は辛毗を曹操へ送り、降伏と救援を申し入れた。曹操は息子の曹整と袁譚の娘を婚姻させ、袁譚を救うため北へ戻った。

  6. 06

    鄴城包囲

    袁尚が平原へ出兵した間に曹操は鄴へ迫った。蘇由の内応は失敗し、曹操軍は地下道と包囲壕で審配が守る城を攻めた。

  7. 07

    漳水の水攻め

    曹操は一夜で深い包囲壕を完成させ、漳水を引き入れた。五月から八月まで包囲が続き、鄴では飢餓による死者が住民の半数を超えた。

  8. 08

    袁尚救援軍の敗走

    袁尚は鄴の救援へ戻ったが曹操軍に敗れた。陰夔と陳琳を送って降伏を求めても受け入れられず、配下の馬延らが離反すると中山へ逃れた。

  9. 09

    鄴陥落と審配の死

    審配の甥が東門を開き、曹操軍が鄴へ入った。審配は捕らえられても袁氏への忠節を曲げず、処刑された。

  10. 10

    南皮の戦いと袁譚の死

    袁譚が同盟に背いて勢力を広げると、曹操は婚姻を解消して南皮を攻めた。袁譚は討たれ、曹操は冀州を平定した。

  11. 11

    袁熙・袁尚の烏丸逃亡

    焦触と張南らが幽州で袁熙・袁尚に反旗を翻した。兄弟は袁紹と結び付きの深い三郡烏丸の蹋頓を頼って遼西へ逃れた。

  12. 12

    高幹の反乱と壺関陥落

    并州刺史として曹操に降っていた高幹が反乱し、壺関を守った。曹操は三か月の包囲で城を落とし、高幹は逃亡中に上洛都尉の王琰に討たれた。

  13. 13

    田疇の盧龍道案内

    沿岸の道が大雨で進めなくなると、田疇は廃道となっていた盧龍塞を通る奇襲路を提案した。曹操軍は山谷を切り開いて烏丸軍の備えのない背後へ進んだ。

  14. 14

    白狼山の戦い

    曹操軍は白狼山で袁尚・袁熙と蹋頓らの騎兵に遭遇した。曹操は敵陣の乱れを見て張遼を先鋒にし、烏丸軍を破って蹋頓を討った。

  15. 15

    公孫康による袁氏兄弟殺害

    袁尚と袁熙は遼東の公孫康を頼った。曹操は追撃せず、公孫康が両者を警戒して殺すと読み、実際にその首級が曹操へ送られた。