191年 - 199年 袁紹・公孫瓚の河北争奪 展開06 公孫越戦死と磐河進軍 出来事に戻る 袁紹側の周昂が孫堅の陽城拠点を奪い、袁術側の反撃で公孫越が戦死したため、公孫瓚は磐河へ進んだ。 関係する人物 袁紹勢力 袁紹周昂を派遣して陽城拠点を奪う盟主周昂孫堅の陽城拠点を奪う袁紹側の将 公孫瓚勢力 公孫瓚弟の死を袁紹へ問う軍閥公孫越周昂攻撃に加わる公孫瓚の従弟 後漢官吏・諸勢力 袁術孫堅を陽城に置き反撃を命じる後将軍孫堅陽城で董卓を防ぎ周昂へ反撃する将 原文 陳寿本文巻八 公孫瓚・劉虞伝・公孫越戦死と磐河進軍 是時,術遣孫堅屯陽城拒卓,紹使周昂奪其處。術遣越與堅攻昂,不勝,越為流矢所中死。瓚怒曰:「余弟死,禍起於紹。」遂出軍屯磐河,將以報紹。 日本語対訳この時、袁術は孫堅を陽城に駐屯させて董卓を防がせていたが、袁紹は周昂にその拠点を奪わせた。袁術は公孫越を孫堅とともに周昂へ攻めさせたが勝てず、公孫越は流れ矢に当たって死んだ。公孫瓚は弟の死の災いは袁紹から起きたと怒り、報復のため磐河へ進軍した。
陳寿本文巻八 公孫瓚・劉虞伝・公孫越戦死と磐河進軍 是時,術遣孫堅屯陽城拒卓,紹使周昂奪其處。術遣越與堅攻昂,不勝,越為流矢所中死。瓚怒曰:「余弟死,禍起於紹。」遂出軍屯磐河,將以報紹。 日本語対訳この時、袁術は孫堅を陽城に駐屯させて董卓を防がせていたが、袁紹は周昂にその拠点を奪わせた。袁術は公孫越を孫堅とともに周昂へ攻めさせたが勝てず、公孫越は流れ矢に当たって死んだ。公孫瓚は弟の死の災いは袁紹から起きたと怒り、報復のため磐河へ進軍した。