191年 - 199年

袁紹・公孫瓚の河北争奪

袁術公路えんじゅつ

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孫堅を陽城に置き反撃を命じる後将軍

後漢官吏・諸勢力

袁術は孫堅を陽城に置き反撃を命じる後将軍として関わった。袁紹側の周昂が孫堅の陽城拠点を奪い、袁術側の反撃で公孫越が戦死したため、公孫瓚は磐河へ進んだ。

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原文

是時,術遣孫堅屯陽城拒卓,紹使周昂奪其處。術遣越與堅攻昂,不勝,越為流矢所中死。瓚怒曰:「余弟死,禍起於紹。」遂出軍屯磐河,將以報紹。
日本語対訳

この時、袁術は孫堅を陽城に駐屯させて董卓を防がせていたが、袁紹は周昂にその拠点を奪わせた。袁術は公孫越を孫堅とともに周昂へ攻めさせたが勝てず、公孫越は流れ矢に当たって死んだ。公孫瓚は弟の死の災いは袁紹から起きたと怒り、報復のため磐河へ進軍した。