191年 - 199年

袁紹・公孫瓚の河北争奪

展開07

界橋の戦い

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麴義の先登隊と強弩隊が公孫瓚軍を破り、厳綱を討ち取った。

関係する人物

袁紹勢力

公孫瓚勢力

原文

紹令麴義以八百兵爲先登,彊弩千張夾承之,紹自以步兵數萬結陣於後。義久在涼州,曉習羌鬬,兵皆驍銳。瓚見其兵少,便放騎欲陵蹈之。義兵皆伏楯下不動,未至數十步,乃同時俱起,揚塵大叫,直前衝突,彊弩雷發,所中必倒,臨陣斬瓚所署冀州刺史嚴綱甲首千餘級。瓚軍敗績,步騎奔走,不復還營。
日本語対訳

袁紹は麴義の八百人を先登隊とし、千張の強弩をその両側に配し、自らは数万の歩兵で後方に陣を敷いた。麴義は長く涼州にいて羌族との戦いに通じ、その兵はみな勇猛な精鋭だった。公孫瓚は敵が少ないと見て騎兵を放ち、踏みつぶそうとした。麴義の兵は盾の下に伏せたまま動かず、敵が数十歩まで近づくと一斉に立ち上がり、土煙を上げて叫びながら正面へ突撃した。強弩が雷のように放たれ、当たった者は必ず倒れた。公孫瓚が冀州刺史に任じた厳綱を陣中で斬り、千余の首級を挙げた。公孫瓚軍は敗れ、歩兵も騎兵も逃走して陣営へ戻らなかった。