195年 - 198年 徐州争奪と呂布の最期 展開08 陳登の曹操接近と広陵太守就任 出来事に戻る 陳登は曹操に呂布への早期対処を進言した。曹操は陳登を広陵太守に任じ、東方の勢力を密かにまとめて対呂布の内応を準備させた。 関係する人物 呂布勢力 呂布陳登が討伐対象として評価した徐州の支配者 曹操勢力 曹操陳登を広陵太守に任命し東方工作を委任 後漢朝廷・徐州勢力 陳登呂布の内情を曹操に伝え、対呂布工作を担う陳珪陳登の父として曹操との連携を推進 原文 陳寿本文巻七 呂布伝・陳登の曹操接近と広陵太守就任 登見太祖,因陳布勇而無計,輕於去就,宜早圖之。太祖曰:「布,狼子野心,誠難久養,非卿莫能究其情也。」即增珪秩中二千石,拜登廣陵太守。臨別,太祖執登手曰:「東方之事便以相付。」令登陰合部衆以爲內應。 日本語対訳陳登は曹操に会い、呂布は勇猛だが計略に乏しく、身の振り方も軽率なので早く対処すべきだと述べた。曹操は陳珪の秩禄を増し、陳登を広陵太守に任じ、東方の人々を密かに集めて内応させる役目を託した。
陳寿本文巻七 呂布伝・陳登の曹操接近と広陵太守就任 登見太祖,因陳布勇而無計,輕於去就,宜早圖之。太祖曰:「布,狼子野心,誠難久養,非卿莫能究其情也。」即增珪秩中二千石,拜登廣陵太守。臨別,太祖執登手曰:「東方之事便以相付。」令登陰合部衆以爲內應。 日本語対訳陳登は曹操に会い、呂布は勇猛だが計略に乏しく、身の振り方も軽率なので早く対処すべきだと述べた。曹操は陳珪の秩禄を増し、陳登を広陵太守に任じ、東方の人々を密かに集めて内応させる役目を託した。