189年 - 191年

董卓専横と反董卓連合

展開22

長安遷都と洛陽焼亡

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董卓は関東諸軍の挙兵を恐れて献帝と朝廷を長安へ移し、洛陽の宮殿・宗廟・官庫・民家を焼いて財産を没収した。

関係する人物

後漢朝廷・皇帝側

董卓政権・董卓軍

原文

卓以山東豪傑並起,恐懼不寧。初平元年二月,乃徙天子都長安。
日本語対訳

董卓は関東の豪傑が一斉に挙兵したため、恐れて落ち着かなかった。初平元年二月、皇帝を移して長安を都とした。

大駕即西。卓部兵燒洛陽城外面百里。又自將兵燒南北宮及宗廟、府庫、民家,城內埽地殄盡。又收諸富室,以罪惡沒入其財物;無辜而死者,不可勝計。
日本語対訳

『続漢書』によれば、皇帝の車駕はただちに西へ向かった。董卓の部隊は洛陽城外の百里にわたる地域を焼いた。董卓は自ら兵を率いて南宮・北宮、宗廟、府庫、民家を焼き、城内を一面残らず壊滅させた。さらに富裕な家々を捕らえ、罪があるとして財産没収を行った。無実の死者は数え切れなかった。