189年 - 191年

董卓専横と反董卓連合

劉協りゅうきょう

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長安遷都時の献帝

後漢朝廷・皇帝側

董卓の決定により、即位直後の朝廷とともに洛陽から長安へ移された。その後、董卓軍は洛陽の宮殿や民家を焼いた。

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原文

卓以山東豪傑並起恐懼不寧初平元年二月乃徙天子都長安
日本語対訳

董卓は関東の豪傑が一斉に挙兵したため、恐れて落ち着かなかった。初平元年二月、皇帝を移して長安を都とした。

大駕即西卓部兵燒洛陽城外面百里又自將兵燒南北宮及宗廟府庫民家城內埽地殄盡又收諸富室以罪惡沒入其財物無辜而死者不可勝計
日本語対訳

続漢書』によれば、皇帝の車駕はただちに西へ向かった。董卓の部隊は洛陽城外の百里にわたる地域を焼いた。董卓は自ら兵を率いて南宮北宮宗廟府庫、民家を焼き、城内を一面残らず壊滅させた。さらに富裕な家々を捕らえ、罪があるとして財産没収を行った。無実の死者は数え切れなかった。