192年 - 196年

董卓暗殺と後漢朝廷の流転

展開13

曹操の奉迎決定と曹洪の失敗

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荀彧らの進言を受けた曹操献帝奉迎を決めたが、先遣した曹洪董承袁術配下の萇奴に険路を塞がれた。

関係する人物

後漢朝廷

曹操勢力

袁術勢力

張楊勢力

原文

太祖議奉迎都許或以山東未平韓暹楊奉新將天子到洛陽北連張楊未可卒制彧勸太祖曰「昔晉文公納周襄王而諸侯景從髙祖東伐爲義帝縞素而天下歸心自天子播越將軍首唱義兵徒以山東擾亂未能遠赴關右然猶分遣將帥蒙險通使雖禦難于外乃心無不在王室是將軍匡天下之素志也今車駕旋軫東京榛蕪義士有存本之思百姓感舊而增哀誠因此時奉主上以從民望大順也秉至公以服雄傑大略也扶弘義以致英俊大德也天下雖有逆節必不能爲累明矣韓暹楊奉其敢爲害若不時定四方生心後雖慮之無及
日本語対訳

曹操献帝を迎えてを都とする案を議論すると、山東がまだ平定されず、韓暹楊奉天子洛陽へ連れて来たばかりで張楊とも結んでいるため、すぐには制御できないという意見が出た。荀彧は、献帝を迎えることは民衆の望みに従う大順、天下の有力者を公正さで服させる大略、大義によって人材を集める大徳に当たり、韓暹楊奉を恐れて機会を逃せば手遅れになると説いた。

太祖將迎天子諸將或疑荀彧程昱勸之乃遣曹洪將兵西迎衞將軍董承與袁術將萇奴拒險洪不得進
日本語対訳

曹操天子を迎えようとすると、将たちの中には疑う者もいたが、荀彧程昱が勧めた。そこで曹洪に兵を率いさせて西へ迎えに行かせたものの、衛将軍董承袁術の将・萇奴が険路を塞ぎ、曹洪は進めなかった。