192年 - 196年

董卓暗殺と後漢朝廷の流転

展開04

赦免問題と牛輔軍の崩壊

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王允董卓旧軍への正式な赦免を見送る中、李粛牛輔討伐に敗れ、牛輔も逃亡中に側近の胡赤児らに殺されて旧軍の統制が崩れた。

関係する人物

後漢朝廷

董卓旧軍・李傕政権

呂布勢力

原文

允初議赦卓部曲呂布亦數勸之既而疑曰「此輩無罪從其主耳今若名為惡逆而特赦之適足使其自疑非所以安之之道也」呂布又欲以卓財物班賜公卿將校允又不從
日本語対訳

王允は当初、董卓部曲に正式な赦免令を出すことを検討し、呂布もたびたび勧めた。しかし王允は、「彼らにはもともと罪がなく、旧主の董卓に従っただけだ。それなのに反逆者と位置づけたうえで特別に赦免すれば、自分たちが罪を問われているのではないかと、かえって疑わせる。これは彼らを安心させる方法ではない」と考え、赦免令を出す案を取りやめた。呂布董卓の財物を公卿や将校へ分け与えることも求めたが、王允はこの提案にも従わなかった。

卓女壻中郎將牛輔典兵別屯陝分遣校尉李傕郭汜張濟略陳留潁川諸縣卓死呂布使李肅至陝欲以詔命誅輔輔等逆與肅戰肅敗走弘農布誅肅
日本語対訳

はじめ董卓の娘婿で中郎将牛輔は兵を率いてに別駐し、校尉李傕郭汜張済を分けて陳留潁川の諸県へ略奪に向かわせていた。董卓が死ぬと、呂布李粛へ送り、詔命によって牛輔を殺そうとした。牛輔らは迎え撃って李粛と戦い、李粛は敗れて弘農へ逃れ、呂布に処刑された。

其後輔營兵有夜叛出者營中驚輔以爲皆叛乃取金寶獨與素所厚友胡赤兒等五六人相隨踰城北渡河赤兒等利其金寶斬首送長安
日本語対訳

その後、牛輔の軍営から夜に逃げた兵があり、陣中が騒然となった。牛輔は全軍が背いたと思い、財宝を持って、日頃から親しくしていた胡赤児ら五、六人だけを連れ、城を越えて黄河を北へ渡った。胡赤児らは財宝を奪おうとして牛輔の首を斬り、長安へ送った。