宛軍指導者・反曹操側の主将
張繡勢力
張繡は降伏後、賈詡の策を用いて、高所へ陣を移すため曹操の陣中を通りたいと願った。張繡は武装した兵を曹操の陣へ入れて急襲し、備えのなかった曹操軍を破った。張繡は降伏したが、のちに心変わりして曹操へ背いた。
原文
裴注之引用書・呉書巻八 張繡伝・曹操陣営への侵入
繡降,(凌統)用賈詡計,乞徙軍就高道,道由太祖屯中。繡又曰:「車少而重,乞得使兵各被甲。」太祖信繡,皆聽之。繡乃嚴兵入屯,掩太祖。太祖不備,故敗。
二年春正月,公到宛。張繡降,旣而悔之,復反。公與戰,軍敗,爲流矢所中,長子昂、弟子安民遇害。
裴注之引用書・世語巻一 武帝紀・曹操・曹昂が馬を譲る
昂不能騎,進馬於公,公故免,而昂遇害。