197年 - 199年

曹操・張繡の宛城攻防

張済ちょうさい

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張繡へ軍を残す叔父

張繡勢力

張繡へ軍を残す叔父

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原文

濟屯弘農,士卒飢餓,南攻穰,為流矢所中死。繡領其眾,屯宛,與劉表合。太祖南征,軍淯水,繡等舉眾降。
日本語対訳

張済は弘農に駐屯していたが、兵が飢えたため南の穣を攻め、流れ矢に当たって死んだ。張繡はその軍を引き継いで宛に駐屯し、劉表と結んだ。曹操が南征して淯水に軍を進めると、張繡らは配下の軍勢とともに降伏した。

繡有所親胡車兒,勇冠其軍。太祖愛其驍健,手以金與之。繡聞而疑太祖欲因左右刺之,遂反。
日本語対訳

張繡の側近に胡車児がおり、軍中で最も勇敢だった。曹操はその勇猛さを気に入り、自ら金を与えた。張繡はこれを聞き、曹操が側近を使って自分を殺そうとしているのではないかと疑い、反乱した。