197年 - 199年

曹操・張繡の宛城攻防

劉表景升りゅうひょう

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張繡を支援する荊州牧

劉表勢力

張繡を支援する荊州牧

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原文

濟屯弘農,士卒飢餓,南攻穰,為流矢所中死。繡領其眾,屯宛,與劉表合。太祖南征,軍淯水,繡等舉眾降。
日本語対訳

張済は弘農に駐屯していたが、兵が飢えたため南の穣を攻め、流れ矢に当たって死んだ。張繡はその軍を引き継いで宛に駐屯し、劉表と結んだ。曹操が南征して淯水に軍を進めると、張繡らは配下の軍勢とともに降伏した。

公之自舞陰還也,南陽、章陵諸縣復叛爲繡,公遣曹洪擊之,不利,還屯葉,數爲繡、表所侵。冬十一月,公自南征,至宛。表將鄧濟據湖陽。攻拔之,生禽濟,湖陽降。攻舞陰,下之。
日本語対訳

曹操が舞陰から帰ると、南陽・章陵の諸県は再び張繡に味方した。曹洪が攻めたものの不利となり、葉に退いて張繡・劉表軍の攻撃を受けた。冬十一月、曹操は自ら南征して宛に至り、湖陽を守る劉表配下の鄧済を捕らえ、湖陽と舞陰を攻略した。

公將引還,繡兵來,公軍不得進,連營稍前。公與荀彧書曰:「賊來追吾,雖日行數里,吾策之,到安衆,破繡必矣。」到安衆,繡與表兵合守險,公軍前後受敵。公乃夜鑿險爲地道,悉過輜重,設奇兵。會明,賊謂公爲遁也,悉軍來追。乃縱奇兵步騎夾攻,大破之。
日本語対訳

曹操が軍を退こうとすると張繡軍が迫り、曹操軍は進めず、陣を連ねながら少しずつ進んだ。曹操は荀彧への書状で、安衆へ着けば張繡を破れると見通した。安衆では張繡・劉表軍が険路を守り、曹操軍は前後から敵を受けた。曹操は夜に道を掘り、兵糧や荷物を通したうえで伏兵を置いた。夜明けに敵が総出で追ってくると、歩兵と騎兵で挟撃して大破した。