195年 - 199年

袁術の皇帝僭称

曹操孟徳そうそう

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袁術討伐と北上阻止を進める将

曹操勢力・曹魏

袁術の陳国侵攻を受けて自ら東征し、その軍を破った。袁術の青州北上時には劉備・朱霊を送って進路を遮った

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原文

秋九月,術侵陳,公東征之。術聞公自來,棄軍走,留其將橋蕤、李豐、梁綱、樂就;公到,擊破蕤等,皆斬之。術走渡淮。公還許。
日本語対訳

秋九月、袁術が陳国へ侵攻すると、曹操は東征した。袁術は曹操自身が来ると聞き、軍を捨てて逃げ、将の橋蕤・李豊・梁綱・楽就を残した。曹操は到着すると橋蕤らを破り、全員を斬った。袁術は逃げて淮水を渡り、曹操は許へ帰った。

術歸帝號於紹曰:「漢之失天下久矣,天子提挈,政在家門,豪雄角逐,分裂疆宇,此與周之末年七國分勢無異,卒彊者兼之耳。加袁氏受命當王,符瑞炳然。今君擁有四州,民戶百萬,以彊則無與比大,論德則無與比高。曹操欲扶衰拯弱,安能續絕命救已滅乎?」紹陰然之。
日本語対訳

袁術は帝号を袁紹へ譲るにあたり書状を送った。「漢が天下を失って久しく、天子は人に支えられ、政権は有力家門にある。英雄が争い、領域を分けているのは、周末に七国が勢力を分けたのと変わらず、最後には強い者が併合する。さらに袁氏が天命を受けて王となる兆しは明らかである。今、君は四州と百万の戸口を擁し、強さでも徳でも比べる者がない。曹操が衰えた漢を助けようとしても、絶えた天命を継ぎ、滅びたものを救えるだろうか」。袁紹は内心でこの考えを認めた。