191年 - 199年

袁紹・公孫瓚の河北争奪

袁紹本初えんしょう

出来事に戻る
易京を連年攻める包囲側の盟主

袁紹勢力

袁紹は易京を連年攻める包囲側の盟主として関わった。公孫瓚は幾重もの堀と高楼を築いて穀物を蓄え、袁紹軍の攻撃に籠城した。

袁紹に関連する出来事一覧

原文

為圍塹十重,於塹裡築京,皆高五六丈,為樓其上;中塹為京,特高十丈,自居焉,積穀三百萬斛。瓚曰:「昔謂天下事可指麾而定,今日視之,非我所決,不如休兵,力田畜谷。兵法,百樓不攻。今吾樓櫓千重,食盡此谷,足知天下之事矣。」欲以此弊紹。紹遣將攻之,連年不能拔。
日本語対訳

公孫瓚は十重の堀を巡らし、その内側にそれぞれ高さ五、六丈の丘を築き、上に楼を設けた。中央の丘は特に高く十丈あり、自らそこに住んで穀物三百万斛を蓄えた。公孫瓚は「昔は天下のことなど指図一つで定められると思っていたが、いま見れば私に決められるものではない。兵を休め、農耕に励んで穀物を蓄える方がよい。兵法にも、楼が百あれば攻めないという。いま私には幾重もの楼と櫓がある。この穀物を食べ尽くすころには、天下の行方も分かるだろう」と述べた。こうして袁紹を疲れさせようとした。袁紹は将を送って攻めたが、数年にわたり落とせなかった。