191年 - 199年

袁紹・公孫瓚の河北争奪

韓馥文節かんふく

出来事に戻る
公孫瓚の南下を警戒する冀州牧

後漢官吏・諸勢力

韓馥は公孫瓚の南下を警戒する冀州牧として関わった。逢紀は袁紹に公孫瓚の南下を誘い、韓馥の恐れを利用して冀州を得る策を説いた。

韓馥に関連する出来事一覧

原文

裴注之引用書・英雄記巻六 袁紹伝・逢紀の冀州奪取策
逢紀說紹曰:「將軍舉大事而仰人資給,不據一州,無以自全。」紹荅云:「冀州兵彊,吾士饑乏,設不能辦,無所容立。」紀曰:「可與公孫瓚相聞,導使來南,擊取冀州。公孫必至而馥懼矣,因使說利害,爲陳禍福,馥必遜讓。於此之際,可據其位。」紹從其言而瓚果來。
日本語対訳

逢紀は袁紹に「将軍は大事を起こしながら他人の補給に頼っています。一州を領有しなければ自立できません」と説いた。袁紹は「冀州の兵は強く、わが兵は飢えている。もし事を成し遂げられなければ、身を置く場所もない」と答えた。逢紀は「公孫瓚と連絡を取り、南へ来て冀州を攻め取るよう仕向けるのです。公孫瓚が必ず来れば韓馥は恐れます。そこで利害と禍福を説けば、韓馥は必ず譲るでしょう。その機会に地位を得られます」と述べた。袁紹がその言葉に従うと、公孫瓚は実際に来た。