184年 - 196年

黄巾の乱

趙弘ちょうこう

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南陽黄巾の後継指揮者

黄巾勢力・南陽軍

張曼成の後を継いで宛城に拠り、朱儁に斬られた。

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原文

後太守秦頡擊殺曼成,賊更以趙弘為帥。儁與荊州刺史徐璆及秦頡合兵萬八千人圍弘。儁因急擊弘,斬之。賊餘帥韓忠復據宛拒儁。司馬張超及徐璆、秦頡皆欲聽之。忠等遂降。而秦頡積忿忠,遂殺之。餘衆懼不自安,復以孫夏為帥。
日本語対訳

時南陽黃巾張曼成起兵,稱「神上使」,衆數萬,殺郡守褚貢,屯宛下百餘日。後太守秦頡擊殺曼成,賊更以趙弘為帥,衆浸盛,遂十餘萬,據宛城。
日本語対訳

南陽黄巾の張曼成は神上使を称し、数万人を率いて郡守の褚貢を殺し、宛の城下に百余日駐屯した。後任太守の秦頡が張曼成を攻め殺すと、黄巾軍は趙弘を新たな指揮者とし、十余万へ増えて宛城に拠った。

儁與荊州刺史徐璆及秦頡合兵萬八千人圍弘,自六月至八月不拔。儁因急擊弘,斬之。賊餘帥韓忠復據宛拒儁。儁兵少不敵,乃張圍結壘,起土山以臨城內,因鳴鼓攻其西南,賊悉衆赴之。儁自將精卒五千,掩其東北,乘城而入。忠乃退保小城,惶懼乞降。司馬張超及徐璆、秦頡皆欲聽之。忠等遂降。而秦頡積忿忠,遂殺之。
日本語対訳

朱儁は荊州刺史の徐璆と秦頡を合わせた一万八千で趙弘を包囲し、猛攻して斬った。韓忠が宛を守ると、西南を攻めると見せて自ら精鋭五千を率い、東北から城内へ入った。韓忠は小城へ退いて降伏したが、秦頡に殺された。