184年 - 196年

黄巾の乱

張角ちょうかく

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太平道・黄巾勢力の最高指導者

黄巾勢力

魏郡で三十六方を一斉蜂起させ、天公将軍を称した黄巾の指導者。広宗戦の前に病死し、敗戦後に棺を暴かれた。

張角に関連する出来事一覧

原文

中平元年,黃巾賊師張角起於魏郡。託有神靈,遣八使以善道教化天下,而潛相連結,自稱黃天泰平。三月甲子,三十六方一旦俱發,天下響應,燔燒郡縣,殺害長吏。
日本語対訳

中平元年、黄巾の指導者張角が魏郡で蜂起した。神霊の力があると称し、八人の使者を派遣して善道で天下を教化する一方、ひそかに組織を結び、自ら黄天泰平と称した。三月甲子、三十六方が一斉に蜂起すると天下が呼応し、郡県を焼き、地方長官を殺害した。

時北中郎將盧植及東中郎將董卓討張角,並無功而還,乃詔嵩進兵討之。嵩與角弟梁戰於廣宗。梁衆精勇,嵩不能克。明日,乃閉營休士,以觀其變。知賊意稍懈,乃潛夜勒兵,雞鳴馳赴其陳,戰至晡時,大破之,斬梁。角先已病死,乃剖棺戮屍,傳首京師。嵩復與鉅鹿太守馮翊郭典攻角弟寶於下曲陽,又斬之。
日本語対訳

中平元年,大方馬元義等先收荊、楊數萬人,期會發於鄴。元義數往來京師,以中常侍封諝、徐奉等為內應,約以三月五日內外俱起。未及作亂,而張角弟子濟南唐周上書告之,於是車裂元義於洛陽。靈帝以周章下三公、司隸,使鉤盾令周斌將三府掾屬,案驗宮省直衛及百姓有事角道者。
日本語対訳

中平元年、大方の馬元義らは先に荊州・揚州で数万人を集め、鄴で一斉に蜂起する手はずを整えた。馬元義はたびたび都へ赴き、中常侍の封諝・徐奉らを内応者として三月五日の蜂起を約した。しかし張角の弟子で済南の唐周が告発し、馬元義は洛陽で車裂きにされた。霊帝はこの件を三公と司隷校尉に下し、鉤盾令の周斌に三府の属官を率いさせ、宮省の宿直・衛士および民間で張角の道に関わった者を取り調べさせた。

嵩與角弟梁戰於廣宗。梁衆精勇,嵩不能克。明日,乃閉營休士,以觀其變。知賊意稍懈,乃潛夜勒兵,雞鳴馳赴其陳,戰至晡時,大破之,斬梁。角先已病死,乃剖棺戮屍,傳首京師。
日本語対訳

皇甫嵩は広宗で張角の弟・張梁と戦った。張梁軍は精強で、初めは勝てなかった。翌日、兵を休ませて敵の緩みを待ち、夜中に兵を整えて鶏鳴のころ急襲し、夕方まで戦って張梁を斬った。張角はすでに病死していたため、棺を暴いて遺体をさらし、首を京師へ送った。