194年 - 200年

孫策の江東平定

展開14

孫策の死と孫権への継承

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許への進軍を準備していた孫策は許貢の客に襲われ、張昭らへ弟・孫権を託して死去した。

関係する人物

孫策勢力

後漢朝廷

曹操勢力

袁紹勢力

原文

建安五年,曹公與袁紹相拒於官渡,策陰欲襲許。迎漢帝,密治兵,部署諸將。未發,會爲故呉郡太守許貢客所殺。
日本語対訳

建安五年、曹操と袁紹が官渡で対峙すると、孫策はひそかに許を襲って漢の皇帝を迎えようとし、兵を整えて諸将を配置した。しかし出発前に、元呉郡太守・許貢の客に襲われた。

裴注之引用書・江表傳巻四十六 孫策伝・狩猟中の襲撃
策歸,復討陳登。軍到丹徒,須待運糧。策性好獵,將歩騎數出。策驅馳逐鹿,所乘馬精駿,從騎絶不能及。獵日,卒有三人即貢客也。策射一人,應弦而倒。餘二人便舉弓射策,中頰。後騎尋至,皆刺殺之。
日本語対訳

孫策は陳登を再び討つため丹徒へ進み、兵糧の到着を待った。狩猟を好む孫策が鹿を追うと、馬が速いため従騎はついて行けなかった。その日、許貢の客三人と遭遇し、一人を射倒したが、残る二人に弓で頬を射られた。遅れて到着した従騎が二人を刺し殺した。

創甚,請張昭等謂曰:「中國方亂,夫以呉越之衆,三江之固,足以觀成敗。公等善相吾弟!」呼權佩以印綬,謂曰:「舉江東之衆,決機於兩陳之間,與天下爭衡,卿不如我。舉賢任能,各盡其心,以保江東,我不如卿。」至夜卒,時年二十六。
日本語対訳

傷が重くなると、孫策は張昭らに「中原は乱れている。呉越の人々と三江の地勢があれば、天下の成り行きを見定められる。皆で弟をよく助けてほしい」と頼んだ。孫権を呼んで印綬を帯びさせ、「江東の軍勢を率いて戦場で機を決し、天下と争うことは私に及ばない。賢者を登用して力を尽くさせ、江東を守ることは私が君に及ばない」と告げた。その夜、二十六歳で死去した。