184年 - 191年

劉備・関羽・張飛の挙兵

劉備玄徳りゅうび

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義兵の組織者・指揮者

劉備義兵

張世平・蘇双らの援助で徒衆を集め、黄巾蜂起後は配下を率いて校尉鄒靖に従った。

劉備に関連する出来事一覧

原文

中山大商張世平、蘇雙等貲累千金,販馬周旋於涿郡,見而異之,乃多與之金財。先主由是得用合徒眾。
日本語対訳

中山の大商人、張世平・蘇双らは千金もの資産を持ち、馬を売りながら涿郡を往来していた。彼らは劉備を見て非凡だと思い、多くの金財を与えた。劉備はこれによって仲間を集めることができた。

督郵以公事到縣,先主求謁,不通,直入縛督郵,杖二百,解綬繫其頸着馬枊,棄官亡命。
日本語対訳

督郵が公務で県へ来ると、劉備は面会を求めたが取り次がれなかった。劉備は直接入って督郵を縛り、二百回杖打ちし、官印のひもを解いて督郵の首へ掛け、馬をつなぐ杭へ結び付けた。そして官職を捨てて逃亡した。

其後州郡被詔書,其有軍功為長吏者,當沙汰之,備疑在遣中。督郵至縣,當遣備,備素知之。聞督郵在傳舍,備欲求見督郵,督郵稱疾不肯見備,備恨之,因還治,將吏卒更詣傳舍,突入門,言「我被府君密教收督郵」。遂就床縛之,將出到界,自解其綬以繫督郵頸,縛之著樹,鞭杖百餘下,欲殺之。督郵求哀,乃釋去之。
日本語対訳

『典略』によれば、軍功で地方官となった者を選別する詔が出され、劉備は自分が罷免対象だと考えた。督郵が病気を理由に会わなかったため、劉備は役所へ戻って吏卒を率い、太守の密命だと称して督郵を拘束した。県境で木に縛り、百余回鞭打って殺そうとしたが、命乞いを受けて解放した。