195年 - 198年

徐州争奪と呂布の最期

袁術公路えんじゅつ

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徐州へ侵攻し呂布と連携を図る淮南の勢力主

袁術勢力

徐州へ侵攻し、婚姻を通じて呂布との連携を図った。婚姻破棄後も呂布と再接近したが、下邳からの救援要請に対する援軍は実現しなかった

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原文

裴注之引用書・英雄記巻七 呂布伝・袁術への救援要請
布遣許汜、王楷告急於術。術曰:「布不與我女,理自當敗,何爲復來相聞邪?」汜、楷曰:「明上今不救布,爲自敗耳!布破,明上亦破也。」術乃嚴兵爲布作聲援。
日本語対訳

呂布は許汜と王楷を袁術のもとへ送り、危急を告げさせた。袁術は婚姻を破棄されたことを責めたが、二人は呂布を救わなければ袁術自身も敗れると説いた。袁術は兵を整え、呂布を援護する構えを見せた。

術遣將紀靈等步騎三萬攻備,備求救於布。布諸將謂布曰:「將軍常欲殺備,今可假手於術。」布曰:「不然。術若破備,則北連太山諸將,吾爲在術圍中,不得不救也。」便嚴步兵千、騎二百,馳往赴備。
日本語対訳

袁術は紀霊らに歩兵・騎兵三万を率いさせて劉備を攻め、劉備は呂布に救援を求めた。呂布は、袁術が劉備を破れば北方の泰山諸将と結んで自分を包囲すると判断し、歩兵千・騎兵二百を整えて劉備のもとへ急行した。

布令門候於營門中舉一隻戟,布言:「諸君觀布射戟小支,一發中者諸君當解去,不中可留決鬬。」布舉弓射戟,正中小支。諸將皆驚,言「將軍天威也」!明日復歡會,然後各罷。
日本語対訳

呂布は営門に戟を一本立てさせ、『私が戟の小枝を一射で射抜けば、諸君は戦いを解いて立ち去れ』と言った。矢が小枝に命中すると、諸将はみな驚き、翌日も宴を開いてからそれぞれ撤兵した。

沛相陳珪恐術、布成婚,則徐、揚合從,將爲國難,於是往說布曰:「曹公奉迎天子,輔讚國政,威靈命世,將征四海,將軍宜與恊同策謀,圖太山之安。今與術結婚,受天下不義之名,必有累卵之危。」布亦怨術初不己受也,女已在塗,追還絕婚,械送韓胤,梟首許市。
日本語対訳

沛相の陳珪は、袁術と呂布が婚姻すれば徐州と揚州が連携し、国家の難になると恐れた。そこで呂布に曹操と協力するよう説き、呂布は道中の娘を呼び戻して婚姻を断ち、韓胤を拘束して許へ送り、市でさらし首にした。

備軍在廣陵,飢餓困踧,吏士大小自相噉食,窮餓侵逼,欲還小沛,遂使吏請降布。
日本語対訳

劉備軍は広陵で飢餓に苦しみ、官吏も兵士も互いに食らうほど追い詰められた。劉備は小沛へ戻ろうとし、役人を遣わして呂布に降伏を願い出た。

布水陸東下,軍到下邳西四十里。備中郎將丹楊許耽夜遣司馬章誑來詣布,言「張益德與下邳相曹豹共爭,益德殺豹,城中大亂,不相信。丹楊兵有千人屯西白城門內,聞將軍來東,大小踊躍,如復更生。將軍兵向城西門,丹楊軍便開門內將軍矣」。布遂夜進,晨到城下。天明,丹楊兵悉開門內布兵。
日本語対訳

呂布は水陸から東へ進み、下邳の西四十里まで来た。劉備配下の丹楊出身の許耽は、夜に司馬の章誑を呂布へ送り、『張飛と下邳相の曹豹が争い、張飛が曹豹を殺して城内が混乱しています。西の白門内にいる丹楊兵千人は、将軍が来れば門を開きます』と伝えた。呂布は夜のうちに進み、夜明けに丹楊兵が門を開いて呂布軍を入れた。

建安三年春,布使人齎金欲詣河內買馬,爲備兵所鈔。布由是遣中郎將高順、北地太守張遼等攻備。九月,遂破沛城,備單身走,獲其妻息。
日本語対訳

建安三年春、呂布は河内で馬を買わせるため人に金を持たせたが、劉備の兵に奪われた。これを受けて呂布は中郎将の高順、北地太守の張遼らに劉備を攻めさせた。九月、小沛は陥落し、劉備は単身で逃れ、妻子は捕らえられた。