195年 - 198年

徐州争奪と呂布の最期

呂布奉先りょふ

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徐州を掌握して下邳を守る勢力主

呂布勢力

兗州から徐州へ逃れ、劉備を頼ったのち下邳を奪って徐州を支配した。劉備・袁術と離合集散を重ねたが、曹操軍の包囲と配下の離反で捕らえられ、白門楼で処刑された

呂布に関連する出来事一覧

原文

荀攸、郭嘉說公曰:「呂布勇而無謀,今三戰皆北,其鋭氣衰矣。三軍以將爲主,主衰則軍無奮意。夫陳宮有智而遲,今及布氣之未復,宮謀之未定,進急攻之,布可拔也。」
日本語対訳

荀攸と郭嘉は曹操に説いた。『呂布は勇猛ですが計略がなく、いま三度の戦いにすべて敗れて鋭気が衰えています。軍は将を主とし、主が衰えれば兵に奮戦する意志は生まれません。陳宮には知恵がありますが決断が遅い。呂布の気力が戻らず、陳宮の策が定まらない今、急いで攻めれば呂布を破れます』

太祖到下邳,登率郡兵爲軍先驅。時登諸弟在下邳城中,布乃質執登三弟,欲求和同。登執意不撓,進圍日急。布刺姦張弘,懼於後累,夜將登三弟出就登。
日本語対訳

曹操が下邳へ到着すると、陳登は郡兵を率いて先鋒となった。陳登の弟三人が城内にいたため、呂布は彼らを人質にして和睦を求めようとしたが、陳登は攻撃を緩めなかった。呂布配下の監察役・張弘は後難を恐れ、夜に三人を陳登のもとへ連れ出した。

布請曰:「明公所患不過於布,今已服矣。令布將騎,明公將步,天下不足定也。」太祖有疑色。劉備進曰:「明公不見布之事丁建陽及董太師乎!」太祖頷之。
日本語対訳

呂布は『あなたが憂えていたのは私だけです。いま私が服従した以上、私に騎兵を率いさせ、あなたが歩兵を率いれば天下を平定できます』と願い出た。曹操が迷う様子を見せると、劉備は『呂布が丁原や董卓にしたことをお忘れですか』と進言し、曹操はうなずいた。

裴注之引用書・英雄記巻七 呂布伝・袁術への救援要請
布遣許汜、王楷告急於術。術曰:「布不與我女,理自當敗,何爲復來相聞邪?」汜、楷曰:「明上今不救布,爲自敗耳!布破,明上亦破也。」術乃嚴兵爲布作聲援。
日本語対訳

呂布は許汜と王楷を袁術のもとへ送り、危急を告げさせた。袁術は婚姻を破棄されたことを責めたが、二人は呂布を救わなければ袁術自身も敗れると説いた。袁術は兵を整え、呂布を援護する構えを見せた。

術遣將紀靈等步騎三萬攻備,備求救於布。布諸將謂布曰:「將軍常欲殺備,今可假手於術。」布曰:「不然。術若破備,則北連太山諸將,吾爲在術圍中,不得不救也。」便嚴步兵千、騎二百,馳往赴備。
日本語対訳

袁術は紀霊らに歩兵・騎兵三万を率いさせて劉備を攻め、劉備は呂布に救援を求めた。呂布は、袁術が劉備を破れば北方の泰山諸将と結んで自分を包囲すると判断し、歩兵千・騎兵二百を整えて劉備のもとへ急行した。

布令門候於營門中舉一隻戟,布言:「諸君觀布射戟小支,一發中者諸君當解去,不中可留決鬬。」布舉弓射戟,正中小支。諸將皆驚,言「將軍天威也」!明日復歡會,然後各罷。
日本語対訳

呂布は営門に戟を一本立てさせ、『私が戟の小枝を一射で射抜けば、諸君は戦いを解いて立ち去れ』と言った。矢が小枝に命中すると、諸将はみな驚き、翌日も宴を開いてからそれぞれ撤兵した。

珪曰:「暹、奉與術,卒合之軍耳,策謀不素定,不能相維持,子登策之,比之連雞,勢不俱棲,可解離也。」布用珪策,遣人說暹、奉,使與己并力共擊術軍,軍資所有,悉許暹、奉。於是暹、奉從之,勳大破敗。
日本語対訳

陳珪は、韓暹・楊奉と袁術の軍は急に集まっただけで、策もあらかじめ定まらず、互いを支えきれないと見抜いた。呂布はその策を用いて二人を説得し、共同して袁術軍を攻めると、張勲軍は大敗した。

建安三年春,布使人齎金欲詣河內買馬,爲備兵所鈔。布由是遣中郎將高順、北地太守張遼等攻備。九月,遂破沛城,備單身走,獲其妻息。
日本語対訳

建安三年春、呂布は河内で馬を買わせるため人に金を持たせたが、劉備の兵に奪われた。これを受けて呂布は中郎将の高順、北地太守の張遼らに劉備を攻めさせた。九月、小沛は陥落し、劉備は単身で逃れ、妻子は捕らえられた。

沛相陳珪恐術、布成婚,則徐、揚合從,將爲國難,於是往說布曰:「曹公奉迎天子,輔讚國政,威靈命世,將征四海,將軍宜與恊同策謀,圖太山之安。今與術結婚,受天下不義之名,必有累卵之危。」布亦怨術初不己受也,女已在塗,追還絕婚,械送韓胤,梟首許市。
日本語対訳

沛相の陳珪は、袁術と呂布が婚姻すれば徐州と揚州が連携し、国家の難になると恐れた。そこで呂布に曹操と協力するよう説き、呂布は道中の娘を呼び戻して婚姻を断ち、韓胤を拘束して許へ送り、市でさらし首にした。

登見太祖,因陳布勇而無計,輕於去就,宜早圖之。太祖曰:「布,狼子野心,誠難久養,非卿莫能究其情也。」即增珪秩中二千石,拜登廣陵太守。臨別,太祖執登手曰:「東方之事便以相付。」令登陰合部衆以爲內應。
日本語対訳

陳登は曹操に会い、呂布は勇猛だが計略に乏しく、身の振り方も軽率なので早く対処すべきだと述べた。曹操は陳珪の秩禄を増し、陳登を広陵太守に任じ、東方の人々を密かに集めて内応させる役目を託した。

備軍在廣陵,飢餓困踧,吏士大小自相噉食,窮餓侵逼,欲還小沛,遂使吏請降布。
日本語対訳

劉備軍は広陵で飢餓に苦しみ、官吏も兵士も互いに食らうほど追い詰められた。劉備は小沛へ戻ろうとし、役人を遣わして呂布に降伏を願い出た。

布水陸東下,軍到下邳西四十里。備中郎將丹楊許耽夜遣司馬章誑來詣布,言「張益德與下邳相曹豹共爭,益德殺豹,城中大亂,不相信。丹楊兵有千人屯西白城門內,聞將軍來東,大小踊躍,如復更生。將軍兵向城西門,丹楊軍便開門內將軍矣」。布遂夜進,晨到城下。天明,丹楊兵悉開門內布兵。
日本語対訳

呂布は水陸から東へ進み、下邳の西四十里まで来た。劉備配下の丹楊出身の許耽は、夜に司馬の章誑を呂布へ送り、『張飛と下邳相の曹豹が争い、張飛が曹豹を殺して城内が混乱しています。西の白門内にいる丹楊兵千人は、将軍が来れば門を開きます』と伝えた。呂布は夜のうちに進み、夜明けに丹楊兵が門を開いて呂布軍を入れた。