184年 - 189年

涼州の乱

展開02

金城陥落と辺章・韓遂の連行

出来事に戻る

反乱軍が金城を乱し、陳懿を殺して、辺章・韓遂へ軍政を担わせた。

関係する人物

涼州反乱軍

後漢涼州討伐・地方軍

原文

伯玉等乃劫致金城人邊章、韓遂,使專任軍政,共殺金城太守陳懿,攻燒州郡。《獻帝春秋》曰:「涼州義從宋建、王國等反。詐金城郡降,求見涼州大人故新安令邊允、從事韓約。約不見,太守陳懿勸之使往,國等便劫質約等數十人。金城亂,懿出,國等扶以到護羌營,殺之,而釋約、允等。隴西以愛憎露布,冠約、允名以為賊,州購約、允各千戶侯。約、允被購,『約』改為『遂』,『允』改為『章』。」
日本語対訳

北宮伯玉らは金城の人である辺章・韓遂を脅して連行し、もっぱら軍政を担当させ、ともに金城太守の陳懿を殺して州郡を攻め焼いた。『献帝春秋』によれば、涼州義従の宋建・王国らが反乱し、金城郡へ偽って降伏して、涼州の有力者で元新安県令の辺允と従事の韓約に会いたいと求めた。韓約は会おうとしなかったが、太守の陳懿に勧められて出向くと、王国らは韓約ら数十人を捕らえて人質にした。金城が乱れると陳懿が出てきたので、王国らは陳懿を護羌校尉の営へ連行して殺し、韓約・辺允らを解放した。隴西では私的な愛憎から出された露布が韓約・辺允の名を賊の首領として掲げ、涼州は二人を捕らえた者へそれぞれ千戸侯を与えると懸賞した。懸賞の対象となったため、韓約は名を韓遂に、辺允は辺章に改めた。