関係する人物
原文
時叛羌圍護羌校尉夏育於畜官,勳與州郡合兵救育,至狐盤,為羌所破。勳收餘眾百餘人,為魚麗之陳。羌精騎夾攻之急,士卒多死。勳被三創,堅不動,乃指木表曰:「必屍我於此。」句就種羌滇吾素為勳所厚,乃以兵扞眾曰:「蓋長史賢人,汝曹殺之者為負天。」勳仰罵曰:「死反虜,汝何知?促來殺我!」眾相視而驚。滇吾下馬與勳,勳不肯上,遂為賊所執。羌戎服其義勇,不敢加害,送還漢陽。
日本語対訳
そのころ、反乱した羌が護羌校尉の夏育を畜官で包囲した。蓋勲は州郡の兵と合流して夏育を救援したが、狐槃に至ったところで羌に敗れた。蓋勲は残兵百余人を集めて魚麗の陣を組んだが、羌の精鋭騎兵が左右から激しく攻め、兵士の多くが死んだ。蓋勲は三か所に傷を負っても動かず、木の標識を指して「必ずここに私の屍をさらせ」と言った。句就種羌の滇吾は以前から蓋勲に厚遇されていたので、兵を率いて群衆を遮り、「蓋長史は賢人である。お前たちがこの人を殺せば天に背くことになる」と言った。蓋勲は仰向いて「死すべき反逆者め、お前に何が分かる。早く来て私を殺せ」と罵り、群衆は顔を見合わせて驚いた。滇吾は馬を下りて蓋勲へ譲ったが、蓋勲は乗ろうとせず、ついに反乱軍に捕らえられた。羌戎はその義勇に敬服して危害を加えず、漢陽へ送り返した。