傅燮の子
後漢涼州討伐・地方軍
十三歳で父傅燮に生還を勧め、最期の言葉を受けた。
原文
賊遂進圍漢陽。城中兵少糧盡,燮猶固守。時北地胡騎數千隨賊攻郡,皆夙懷燮恩,共於城外叩頭,求送燮歸鄉里。子干年十三,從在官舍,知燮性剛,有高義,恐不能屈志以免,進諫。燮曰:「食祿又欲避其難乎?吾行何之,必死於此。汝有才智,勉之勉之。主簿楊會,吾之程嬰也。」王國使故酒泉太守黃衍說燮曰:「府君寧有意為吾屬師乎?」燮按劍叱衍曰:「若剖符之臣,反為賊說邪!」遂麾左右進兵,臨陣戰歿。
日本語対訳
反乱軍はそのまま進んで漢陽を包囲した。城内は兵が少なく食糧も尽きたが、傅燮はなお固く守った。このとき北地の胡騎数千が反乱軍に従って郡城を攻めていたが、みな以前から傅燮の恩を受けていたため、城外でそろって叩頭し、傅燮を郷里へ送り帰したいと願った。十三歳の子の傅幹も官舎に付き従っており、父の性質が剛直で高い義を持つため、志を曲げて難を免れることはできないだろうと考えて諫めた。傅燮は「禄を受けながら、その難を避けようというのか。私はどこへ行くというのだ。必ずここで死ぬ。お前には才知がある。しっかり励め、励め。主簿の楊会は、私にとっての程嬰である」と答えた。王国は元酒泉太守の黄衍を使者として傅燮を説得させ、「府君には、私どもの軍の師となるお考えはありませんか」と言わせた。傅燮は剣に手をかけて黄衍を叱り、「お前は割符を受けた朝廷の臣でありながら、反対に賊のために説得するのか」と言った。そして左右の兵を指揮して進撃し、陣中で戦死した。