184年 - 189年

涼州の乱

皇甫嵩義真こうほすう

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陳倉救援軍主将・左将軍

後漢涼州討伐・地方軍

左将軍として董卓と各二万を率い、城の堅固さを見て急戦せず敵の疲弊を待った。

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原文

五年,涼州賊王國圍陳倉,復拜嵩為左將軍,督前將軍董卓,各率二萬人拒之。卓欲速進赴陳倉,嵩不聽。嵩曰:「今陳倉雖小,城守固備。國今已陷受害之地,而陳倉保不拔之城,我可不煩兵動眾,而取全勝之功,將何救焉!」王國圍陳倉,自冬迄春,八十餘日,城堅守固,竟不能拔。賊眾疲敝,果自解去。
日本語対訳

中平五年、涼州の賊である王国が陳倉を包囲したため、朝廷は再び皇甫嵩を左将軍に任じ、前将軍の董卓を監督させ、それぞれ二万人を率いて王国を防がせた。董卓は急いで陳倉へ進もうとしたが、皇甫嵩は従わなかった。皇甫嵩は「いま陳倉は小さいとはいえ、城の守りは堅固に整っています。王国軍は攻め手が損害を受ける状況に陥り、一方の陳倉は攻め落とせないほど堅く守られています。我々は兵や人々を煩わせずに完全な勝利を得られるのに、どうして救援へ急ぐ必要があるでしょうか」と言った。王国は冬から春まで八十余日にわたって陳倉を包囲したが、城は堅く守りも固かったため、ついに陥落させられなかった。反乱軍は疲弊し、果たして自ら包囲を解いて去った。