184年 - 189年

涼州の乱

董卓仲穎とうたく

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追撃軍後衛・前将軍

後漢涼州討伐・地方軍

窮寇を追うべきでないと反対し、追撃時は後衛を命じられた。

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原文

嵩進兵擊之。卓曰:「不可。兵法,窮寇勿迫,歸眾勿追。今我追國,是迫歸眾,追窮寇也。」嵩曰:「前吾不擊,避其銳也。今而擊之,待其衰也。所擊疲師,非歸眾也。國眾且走,莫有鬭志。以整擊亂,非窮寇也。」遂獨進擊之,使卓為後拒。連戰大破之,斬首萬餘級,國走而死。卓大慙恨,由是忌嵩。
日本語対訳

皇甫嵩は兵を進めて王国軍を攻撃しようとした。董卓は「いけません。兵法には、追い詰められた敵を迫ってはならず、帰ろうとする軍勢を追ってはならないとあります。いま我々が王国を追えば、帰ろうとする軍勢に迫り、追い詰められた敵を追うことになります」と言った。皇甫嵩は「先に私が攻撃しなかったのは、その鋭気を避けたからだ。いま攻撃するのは、その衰えを待ったからである。攻撃する相手は疲れた軍であって、帰ろうとする軍勢ではない。王国の軍勢はいま逃げようとしており、戦う意志を持つ者はいない。整った軍で乱れた軍を攻めるのであって、追い詰められた敵を攻めるのではない」と答えた。皇甫嵩はついに単独で進撃し、董卓を後衛に置いた。連戦して王国軍を大破し、一万余の首を斬った。王国は逃走して死んだ。董卓は大いに恥じて恨み、これ以後、皇甫嵩を忌み嫌った。