188年 - 189年

西園八校尉と宮廷政変

許相きょしょう

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宦官に任用された司隷校尉

宦官勢力

袁紹に捕らえられて斬られ、宦官誅滅の発端の一人となった。

許相に関連する出来事一覧

原文

袁紹與叔父隗矯詔召樊陵、許相,斬之。苗、紹乃引兵屯朱雀闕下,捕得趙忠等,斬之。紹遂閉北宮門,勒兵捕宦者,無少長皆殺之。或有無須而誤死者,至自發露然後得免者二千餘人。紹因進兵排宮,或上端門屋,以攻省內。
日本語対訳

袁紹は樊陵・許相を斬り、何苗とともに朱雀闕へ兵を進めて趙忠らを斬った。さらに北宮門を閉じて宦官を捕らえ、老若を問わず殺した。ひげがないため誤って殺され、自ら身体を見せて宦官でないと示した者を含め、死者は二千余人に及んだ。袁紹は端門の屋上から宮中を攻めた。

紹既斬宦者所署司隸校尉許相,遂勒兵捕諸閹人,無少長皆殺之。或有無鬚而誤死者,至自發露形體而後得免,宦者或有行善自守而猶見及。其濫如此。死者二千餘人。急追珪等,珪等悉赴河死。帝得還宮。
日本語対訳

袁紹は、宦官が任命した司隷校尉の許相を斬ると、兵を統率して宦官を捕らえ、老若を問わず皆殺しにした。ひげがないため誤って殺され、自ら身体を露出した後にようやく助かった者もいた。善行を積み身を慎んでいた宦官まで殺害された。虐殺はこのように無差別に行われ、死者は二千余人に及んだ。急いで段珪らを追うと、段珪らは皆河へ身を投げて死んだ。天子は宮中へ帰ることができた。