188年 - 189年

西園八校尉と宮廷政変

袁紹本初えんしょう

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宦官一掃を進言する幕僚

何進・袁紹派

竇武の失敗を引き、何進が禁兵を掌握する機会に宦官を一掃するよう説いた。

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原文

袁紹復說進曰:「前竇武欲誅內寵而反為所害者,以其言語漏泄,而五營百官服畏中人故也。今將軍既有元舅之重,而兄弟並領勁兵,部曲將吏皆英俊名士,樂盡力命,事在掌握,此天贊之時也。將軍宜一為天下除患,名垂後世。雖周之申伯,何足道哉!今大行在前殿,將軍宜受詔領禁兵,不宜輕出入宮省。」進甚然之,乃稱疾不入陪喪,又不送山陵。遂與紹定籌策,而以其計白太后。太后不聽,曰:「中官統領禁省,自古及今,漢家故事,不可廢也。且先帝新棄天下,我奈何楚楚與士人對共事乎?」進難違太后意,且欲誅其放縱者。紹以為中官親近至尊,出入號令,今不悉廢,後必為患。而太后母舞陽君及苗數受諸宦官賂遺,知進欲誅之。數白太后,為其障蔽。又言:「大將軍專殺左右,擅權以弱社稷。」太后疑以為然。中官在省闥者或數十年,封侯貴寵,膠固內外。進新當重任,素敬憚之,雖外收大名而內不能斷,故事久不決。
日本語対訳

袁紹は再び何進に説いた。『以前、竇武が宮中の寵臣を誅殺しようとして逆に殺されたのは、計画の言葉が漏れ、五営と百官が宦官を恐れ服していたからです。今、将軍は皇帝の母方の伯父として重い立場にあり、兄弟はともに精鋭兵を率い、配下の将吏は英俊・名士で、命を尽くすことを望んでいます。事は掌中にあり、これは天が助ける時です。将軍は天下の患いを一挙に除き、名を後世に残すべきです。周の申伯でさえ論ずるに足りません。先帝の棺は前殿にあり、将軍は詔を受けて禁兵を率い、軽々しく宮中へ出入りすべきではありません』。何進は大いに同意し、病気と称して喪に付き添うため宮中へ入らず、山陵への葬送にも参加しなかった。そして袁紹と計画を定め、何太后に申し上げた。何太后は聞き入れず、『宦官が禁中を統轄するのは昔からの漢家の制度で、廃止できない。先帝が亡くなったばかりなのに、私はどうして身なりを整えて士人と向かい合い、共に政務を行えるのか』と言った。何進は何太后の意向に背きにくく、好き勝手に振る舞う宦官だけを殺そうとした。袁紹は、宦官は至尊の近くにいて命令を出し入れするため、今すべて廃さなければ後に必ず患いになると考えた。一方、何太后の母の舞陽君と何苗は、宦官からたびたび賄賂と贈物を受けていた。何進が宦官を殺そうとしていると知ると、何太后に何度も申し上げて宦官をかばい、『大将軍は側近を独断で殺し、権力を専らにして国家を弱めようとしている』とも言った。何太后は疑い、その言葉をもっともだと思った。宮門内にいる宦官には数十年勤め、侯に封ぜられて寵愛を得て、内外に固く根を張った者もいた。何進は重任に就いたばかりで、以前から彼らを敬い恐れていたため、外では大きな名声を得ながら内心では決断できず、事は長く決まらなかった。

靈帝崩,太后兄大將軍何進與紹謀誅諸閹官,太后不從。乃召董卓,欲以脅太后。常侍、黃門聞之,皆詣進謝,唯所錯置。
日本語対訳

霊帝が崩御すると、何太后の兄で大将軍の何進は袁紹と宦官を誅殺しようと謀ったが、何太后は従わなかった。そこで董卓を召し、何太后を威圧しようとした。常侍と黄門はこれを聞くと皆何進のもとへ出向いて謝罪し、どのような処置にも従うと申し出た。