188年 - 189年

西園八校尉と宮廷政変

張讓ちょうじょう

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何進排除を主導した中常侍

宮中宦官勢力

何進の宦官排斥策を察知し、段珪らと宮中に伏して何進を召し入れた。殺害後は皇族を連れて小平津へ逃れ、追兵に迫られた。

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原文

八月,進入長樂白太后,請盡誅諸常侍以下,選三署郎入守宦官廬。諸宦官相謂曰:「大將軍稱疾不臨喪,不送葬,今欻入省,此意何為?竇氏事竟復起邪?」又張讓等使人潛聽,具聞其語,乃率常侍段珪、畢嵐等數十人,持兵竊自側闥入,伏省中。及進出,因詐以太后詔召進。入坐省闥,讓等詰進曰:「天下憒憒,亦非獨我曹罪也。先帝嘗與太后不快,幾至成敗,我曹涕泣救解,各出家財千萬為禮,和悅上意,但欲託卿門戶耳。今乃欲滅我曹種族,不亦太甚乎?卿言省內穢濁,公卿以下忠清者為誰?」於是尚方監渠穆拔劍斬進於嘉德殿前。讓、珪等為詔,以故太尉樊陵為司隸校尉,少府許相為河南尹。尚書得詔板,疑之,曰:「請大將軍出共議。」中黃門以進頭擲與尚書,曰:「何進謀反,已伏誅矣。」
日本語対訳

八月、何進は長楽宮に入り、何太后に、常侍以下の宦官をすべて殺し、三署郎を選んで宦官の宿舎へ入れて守らせるよう願い出た。宦官たちは互いに、『大将軍は病気と称して先帝の喪に臨まず、葬送もしなかったのに、今突然宮中へ入ったのは何の意図か。竇氏の事件が再び起こるのか』と言った。張讓らが人を使ってひそかに聞かせたため、何進の発言をすべて知った。そこで張讓は常侍の段珪・畢嵐ら数十人を率い、武器を持ってひそかに脇門から入り、宮中に伏せた。何進が出ようとした時、何太后の詔だと偽って何進を呼び戻した。何進が宮門内に入って座ると、張讓らは、『天下の混乱は我々だけの罪ではない。先帝と何太后の仲が悪化し、危うく破綻しそうになった時、我々は涙を流して仲裁し、各自が家財一千万を礼物として差し出し、皇帝の意を和らげた。それはただ、あなたの家に身を託そうとしたからだ。今、我々の一族を滅ぼそうとするのはあまりにひどくないか。宮中が汚れていると言うが、公卿以下で忠清な者は誰なのか』と何進を詰問した。そこで尚方監の渠穆が剣を抜き、嘉徳殿前で何進を斬った。張讓と段珪らは詔を偽造し、元太尉の樊陵を司隷校尉、少府の許相を河南尹とした。尚書は詔板を受け取って疑い、『大将軍に出て来てもらい、共に協議したい』と言った。中黄門は何進の首を尚書へ投げ渡し、『何進は謀反し、すでに誅殺された』と言った。

進部曲將吳匡、張璋,素所親幸,在外聞進被害,欲將兵入宮,宮閤閉。袁術與匡共斫攻之,中黃門持兵守閤。會日暮,術因燒南宮九龍門及東西宮,欲以脅出讓等。讓等入白太后,言大將軍兵反,燒宮,攻尚書闥,因將太后、天子及陳留王,又劫省內官屬,從複道走北宮。尚書盧植執戈於閣道窗下,仰數段珪。段珪等懼,乃釋太后。太后投閣得免。
日本語対訳

何進の部曲将である呉匡と張璋は、以前から何進に親しく重用されていた。宮外で何進が殺されたと聞き、兵を率いて宮中へ入ろうとしたが、宮門は閉じられていた。袁術は呉匡と共に宮門を斧で攻撃し、中黄門は武器を持って門を守った。日暮れになると、袁術は南宮の九龍門と東西の宮殿を焼き、張讓らを脅して出そうとした。張讓らは何太后に、大将軍の兵が反乱し、宮殿を焼いて尚書台の門を攻めていると申し上げた。そして何太后・天子・陳留王を連れ、省内の官属も人質にし、複道を通って北宮へ逃げた。尚書の盧植は閣道の窓の下で戈を持ち、見上げて段珪の罪を数え立てた。段珪らは恐れ、何太后を解放した。何太后は楼閣から身を投じて逃れることができた。

張讓、段珪等困迫,遂將帝與陳留王數十人步出穀門,奔小平津。公卿並出平樂觀,無得從者,唯尚書盧植夜馳河上,王允遣河南中部掾閔貢隨植後。貢至,手劍斬數人,餘皆投河而死。明日,公卿百官乃奉迎天子還宮,以貢為郎中,封都亭侯。
日本語対訳

張讓・段珪らは追い詰められ、ついに天子と陳留王を含む数十人を連れ、歩いて穀門を出て小平津へ逃げた。公卿は皆、平楽観まで出たが、二人に従うことのできる者はいなかった。ただ尚書の盧植だけが夜に河上へ駆け、王允は河南中部掾の閔貢を派遣して盧植の後を追わせた。閔貢は到着すると自ら剣を振るって数人を斬り、残りの宦官は皆、河へ身を投げて死んだ。翌日、公卿百官は天子を迎えて宮中へ帰した。閔貢は郎中となり、都亭侯に封ぜられた。