188年 - 189年

西園八校尉と宮廷政変

呉匡ごきょう

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何進部曲を率いた将

何進・袁紹派

何進の部曲将として袁術と宮門を攻めた。のちに何苗が何進と心を同じくしなかったと糾弾し、董旻と兵を率いて何苗を攻め殺した。

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原文

進部曲將吳匡、張璋,素所親幸,在外聞進被害,欲將兵入宮,宮閤閉。袁術與匡共斫攻之,中黃門持兵守閤。會日暮,術因燒南宮九龍門及東西宮,欲以脅出讓等。讓等入白太后,言大將軍兵反,燒宮,攻尚書闥,因將太后、天子及陳留王,又劫省內官屬,從複道走北宮。尚書盧植執戈於閣道窗下,仰數段珪。段珪等懼,乃釋太后。太后投閣得免。
日本語対訳

何進の部曲将である呉匡と張璋は、以前から何進に親しく重用されていた。宮外で何進が殺されたと聞き、兵を率いて宮中へ入ろうとしたが、宮門は閉じられていた。袁術は呉匡と共に宮門を斧で攻撃し、中黄門は武器を持って門を守った。日暮れになると、袁術は南宮の九龍門と東西の宮殿を焼き、張讓らを脅して出そうとした。張讓らは何太后に、大将軍の兵が反乱し、宮殿を焼いて尚書台の門を攻めていると申し上げた。そして何太后・天子・陳留王を連れ、省内の官属も人質にし、複道を通って北宮へ逃げた。尚書の盧植は閣道の窓の下で戈を持ち、見上げて段珪の罪を数え立てた。段珪らは恐れ、何太后を解放した。何太后は楼閣から身を投じて逃れることができた。

袁紹與叔父隗矯詔召樊陵、許相,斬之。苗、紹乃引兵屯朱雀闕下,捕得趙忠等,斬之。吳匡等素怨苗不與進同心,而又疑其與宦官同謀,乃令軍中曰:「殺大將軍者即車騎也,士吏能為報讎乎?」進素有仁恩,士卒皆流涕曰:「願致死!」匡遂引兵與董卓弟奉車都尉旻攻殺苗,棄其屍於苑中。紹遂閉北宮門,勒兵捕宦者,無少長皆殺之。或有無須而誤死者,至自發露然後得免者二千餘人。紹因進兵排宮,或上端門屋,以攻省內。
日本語対訳

吳匡等素怨苗不與進同心,而又疑其與宦官同謀,乃令軍中曰:「殺大將軍者即車騎也,士吏能為報讎乎?」……匡遂引兵與董卓弟奉車都尉旻攻殺苗,棄其屍於苑中。
日本語対訳

呉匡らは何苗が何進と心を合わせなかったことを恨み、宦官との共謀も疑った。呉匡は軍中へ仇討ちを呼びかけ、董卓の弟で奉車都尉の董旻と兵を合わせて何苗を攻め殺し、遺体を苑中へ捨てた。