原文
初,何皇后生皇子辯,王貴人生皇子協。群臣請立太子,帝以辯輕佻無威儀,不可為人主,然皇后有寵,且進又居重權,故久不決。六年,帝疾篤,屬協於蹇碩。碩既受遺詔,且素輕忌於進兄弟,及帝崩,碩時在內,欲先誅進而立協。及進從外入,碩司馬潘隱與進早舊,迎而目之。進驚,馳從儳道歸營,引兵入屯百郡邸,因稱疾不入。碩謀不行,皇子辯乃即位,何太后臨朝,進與太傅袁隗輔政,錄尚書事。
日本語対訳
これより前、何皇后は皇子の劉弁を生み、王貴人は皇子の劉協を生んだ。群臣は太子を立てるよう求めたが、霊帝は劉弁が軽薄で威儀に乏しく、人の君主にできないと考えた。しかし何皇后が寵愛され、何進も重い権力を握っていたため、長く決定しなかった。中平六年、霊帝の病が重くなると、劉協を蹇碩に託した。蹇碩は遺詔を受け、以前から何進兄弟を軽んじ警戒していたので、霊帝が崩御した時、宮中にいた蹇碩は、まず何進を殺して劉協を立てようとした。何進が外から入って来ると、蹇碩の司馬で、以前から何進と親交のあった潘隠が出迎え、目配せして知らせた。何進は驚き、急いで脇道から軍営へ戻り、兵を率いて百郡邸へ入り駐屯し、病気と称して宮中へ入らなかった。蹇碩の計画は実行できず、皇子劉弁が即位した。何太后が朝廷の政務を執り、何進と太傅の袁隗が政務を補佐して録尚書事となった。
進部曲將吳匡、張璋,素所親幸,在外聞進被害,欲將兵入宮,宮閤閉。袁術與匡共斫攻之,中黃門持兵守閤。會日暮,術因燒南宮九龍門及東西宮,欲以脅出讓等。讓等入白太后,言大將軍兵反,燒宮,攻尚書闥,因將太后、天子及陳留王,又劫省內官屬,從複道走北宮。尚書盧植執戈於閣道窗下,仰數段珪。段珪等懼,乃釋太后。太后投閣得免。
日本語対訳
何進の部曲将である呉匡と張璋は、以前から何進に親しく重用されていた。宮外で何進が殺されたと聞き、兵を率いて宮中へ入ろうとしたが、宮門は閉じられていた。袁術は呉匡と共に宮門を斧で攻撃し、中黄門は武器を持って門を守った。日暮れになると、袁術は南宮の九龍門と東西の宮殿を焼き、張讓らを脅して出そうとした。張讓らは何太后に、大将軍の兵が反乱し、宮殿を焼いて尚書台の門を攻めていると申し上げた。そして何太后・天子・陳留王を連れ、省内の官属も人質にし、複道を通って北宮へ逃げた。尚書の盧植は閣道の窓の下で戈を持ち、見上げて段珪の罪を数え立てた。段珪らは恐れ、何太后を解放した。何太后は楼閣から身を投じて逃れることができた。
術將虎賁燒南宮嘉德殿青瑣門,欲以迫出珪等。珪等不出,劫帝及帝弟陳留王走小平津。
張讓、段珪等困迫,遂將帝與陳留王數十人步出穀門,奔小平津。公卿並出平樂觀,無得從者,唯尚書盧植夜馳河上,王允遣河南中部掾閔貢隨植後。貢至,手劍斬數人,餘皆投河而死。明日,公卿百官乃奉迎天子還宮,以貢為郎中,封都亭侯。